fc2ブログ

12月22日

2020年をふり返って

皆さんお元気ですか?
誰もが予想だにしなかった2020年が終わろうとしています。
どなたにとっても戸惑い混乱の一年だったことでしょう。
あじさい会活動を停止するのは、自分自身が病気になって動けなくなる時に限られるとしていました。
まさかこんな事態になるとは…
匿名での参加、その場限りの関係性という自助会では、残念ながら会の再開はかなり先のことになりそうです。

個人的なことですが、2020年をふり返ってみたいと思います。
私の暮らしは大きく変わりました。
それまでも人との関わりはあまり多くはなかったのですが、ほとんど無くなりました。

今まで私は、長年の思い入れのある好きな趣味を通じての活動を暮らしの中心に据えて、生きがいとさえ思えるほどに、惜しみなく時間も労力も費やしていました。
それがコロナ禍で、バッサリ無くなりました。
いや、続けている仲間たちもいますが、私にはできなくなってしまったのです。
感染の危険を伴うほどに必要な趣味なのか、と考えるに至ったのです。
人によって行動への考え方や捉え方は様々であり、感染対策を講じれば大丈夫、ということもあるでしょう。
こればかりは正解がないように思うのです。

小さな仕事もしていて、お客さんと会うために遠くへ出かけることも度々あり、それもまた楽しみの1つでした。
それもこの一年はすべて無くなりました。

いつも常に忙しくて、スケジュールをぎっしり埋めていました。
空いていると、友人と会ったり旅に出たりして、一日じゅう家で過ごす日など数えるほどしかなかったように思います。
今では夫も年金生活者で毎日家にいますが、かつては夫のいる土日は殆ど予定を詰めて外出していました。
あえてすれ違うように、顔を合わせないように意識していたのです。
ステイホームと言われていた春ごろ、どうしようかと焦りました。

人との関係を築くことのできない夫ですが、幸いにも地域の諸々の役員に担ぎ出されて、今では徐々に慣れていっているのか忙しそうにしています。
自分を主張せず静かで言われるがままに黙々と仕事をこなす夫には、町内活動は適任のようです。
その上、町内会での神社の掃除や行事にもけっして文句を言わずに、決められたことをサボらずきちんとこなす姿勢は、信頼されているようです。
町内活動は夫の特性にとても合っているのです。
受動型なので誘われるままに自分の得手不得手も考慮せず、シニア倶楽部のどれにも参加しているようです。
ときどき家庭菜園の野菜を持ってきてくれる人もいます。
また先日はお年寄りの女性が庭で採れたといって、小さな柚を2個下さいました。
今では早朝のラジオ体操にも誘われるままに、毎日6時には公園へ出かけています。
けっして休むことはありません。
彼が学校を一度も休んだことがないと自慢していたことを思い出します。
私にはとても真似のできないことです。
このように地域の人達の交流の輪の中に入り込むことができ、本当に良かったと思っています。
つい夫に
「町内会の人に誘ってもらって、ホントに良かったね。」と声をかけてしまいます。
でもとくに嬉しそうにしている様子はみられません。
淡々とした感じです。

私としては、夫が年金生活者になってずっと家に居るようになった時、夫が一人ぼっちで孤独だったらどうしよう、と心配していました。
私にはどうすることもできないくせに、私の責任ではないか、と自分を責めてしまうのです、夫とは話ができないから。
それは傍から見れば、妻から夫への無視無関心の態度です。
でも夫だって結婚以来ずっと、何十年も私へ無視無関心だったもの。
私も同じにすることで、ようやく自分自身を取り戻すことができたので、手放すわけにはいきません。

このコロナ禍で夫がずっと家に居たとしても、私は全く平常心で暮らせていけることに驚いています。
一緒にご飯を食べない、トイレ洗面所は別々、居住エリアを二分する、という家庭内別居の卒婚形式で、私は心乱されることなく平和に暮らしているのです。

人と接する機会が激減して、私は多くの時間を得ました。
春から試行錯誤しながら、この環境で自分のできることを模索しています。
その一つに朝の散歩がありました。
夏の暑い日には夜明け前から歩き始めました。
そのうち少しだけジョギングしてみました。
2分ほど走っただけでも息切れしていたのが、今では30分くらいを休み休み走れるようになりました。
自分にはジョギングなど到底無理だと諦めていたのに、少しとはいえ走れるなんて、一年前には想像すらできないことでした。
また川の土手の高い所に上り日の出を眺めるのも、一日の始まりの活力を得て幸せな気持ちになります。

最近ではスポーツサイクルを購入して、サイクリングロードや旧街道を走って遠出を楽しんでいます。
一人で軽々と風を切って走ると爽快だし、見知らぬ土地が繋がっていく喜びを感じます。
スポーツサイクルに憧れていたけど、今の年齢では遅すぎる、と諦めていたことの1つでした。
自分が生きがいだと信じ込んでいた趣味の活動を停止したからこそ、時間に余裕ができて実現した新しい出会いです。
もしコロナが無ければ、思い切って飛び込むことのできなかった世界です。

コロナで人と会わないから、グレイヘアも実現しました。
グレイヘアは勇気が要るけれど、誰にも会わないから説明しなくて済むので気持ちがラクでした。
自分のありのままを自分が受容できて、見た目は老けても幸せな気分です。

時間がたっぷりあったから、自分好みのたくさんの洋服も作りました。
鞄も工夫しながらたくさん作った。
免疫力を上げるために、料理についても以前より注意を払うようになりました。

そんなふうに2020年を過ごしてきて、私は去年より健康になったと感じています。
友人と会ってお喋りできないことは少し残念だけど、メールで繋がっています。
楽しいとき、悲しいとき、困ったとき、いつでも友人達と繋がれる時代に生きているので、一人でも淋しくはありません。

皆さまにとっても、それぞれ大変な2020年だったことでしょう。
大変だったけれど、何かを掴んで来年に生かせられますよう切に祈っています。

スポンサーサイト



10月18日

皆さん、お元気ですか?
ブログ更新がなかなかできませんでした。
何かあったのですか?と心配するお声をいただきましたが、私は元気にしています。
いろいろ考えることもあり、このブログのテーマに相応しい内容かどうか検討したりするうちに、時間が過ぎていった次第です。
ですが、テーマとは関係なく個人的な日々のできごとを 自分のために気軽に書き留めてみるのも悪くないと思い始めています。

私の好きな金木犀が今を盛りに咲き誇っています。
町を歩くと、濃厚な甘い香りに包まれとても幸せな気持ちになります。
明るい橙色の花も好きです。
馥郁たる金木犀の香りに背中を押してもらい、ようやくブログを更新することができています。

夏の終わりまで、私はコロナに対して慎重派でした。
もちろん今でもそうですが、家の中に閉じこもるばかりではストレスが大きくなっていて、このままではいけないと感じるようになりました。
それで9月以降、自分の中での規制を少し緩めて、注意しながらの外出を試みることにしました。

先日は友人達とのハイキングにも、2月以来初めて参加しました。
ハイキング友達は緊急事態宣言が終わると、これまでと同じように毎月の登山を計画していましたが、私だけはいつも断っていたのです。
久しぶりに自然の中を歩いて、山の空気を吸い、大きな空を眺め、とても気持ちが晴れました。
身体がふわりと軽くなる感じがしました。

そして興味のあった京都の美術館も訪れることができました。
二年坂や三年坂を歩いたのですが、ここ数年の押し寄せるような観光客が減って、かつての静かな風情を取り戻していました。
とても気持ちよく散策することができ、素晴らしい美術品にも心が洗われる思いでした。

お休みしていた習い事も再開しました。
距離を保ちながらなので、お喋りはあまりできませんが、お世話になっていた先生やお仲間と会い、お顔を拝見するだけでも元気になれます。
人と接することの重要性をしみじみ感じます。

自分の生活の中心だった活動や、あじさい会活動はまだできませんが、コロナ収束後にはすぐに再開できるよう、心準備しておこうと思っています。
自分の根っこが揺らがないように、流されないように、ストレスをためずにコロナ禍での自分なりの在り方をこれからも模索しようと前向きに思っているところです。

9月12日

いつの間にか9月を迎えていました。
永久に続くかのような猛暑でしたが、朝はひんやりと過ごしやすくなってきました。
夜明け前の散歩もノースリーブでは少し肌寒いです。
と言っても太陽が昇ると暑くなるので、早々に家に戻ります。

コロナウィルスに加え、豪雨や強い台風に見舞われています。
熱波による山火事、バッタの大発生、世界中で起こっている地球温暖化がもたらす異常気象の数々…
そればかりか世界じゅうで起こる人々の争いや衝突も増え、嘆息ばかりで暗い気持ちになることがあります。
けれども少し視点を変えてみると、国の分け隔てなく問題を共有できることに、私はときどき不思議な感動をおぼえています。
このコロナ禍が地球規模で起こっていることで、世界じゅうの人が問題意識を共有できる。
地球温暖化による災害もひどいですが、どの国も被害を受けて、地球全体で共有できる問題となっていることに希望を感じることがあるのです。
遠い国での出来事も身近に感じ、世界じゅうで起こる様々な事柄に敏感に目を向けられるようになりました。
コロナや社会不安で気持ちが塞ぐからこそ、弱者や困難な人に寄り添える心持になれる気がするのです。
それは自助会の構造と同じかもしれませんね。

私は相変わらずのステイホームで、ほとんど誰とも言葉を交わさない生活を続けていますが、元気にしています
私のささやかな楽しみの一つに、新聞や雑誌に掲載される数独があります。
以前は分からなくなると、すぐに放り出していましたが、今では解けるまでじっくりと取り組みます。
集中して、ゆっくり考える時間が好きなのです。
とは言っても、数独の冊子を買うことはしません。
そんなものを買えば、一日じゅうキリがなく四六時中解いてしまいそうだからです。
たまに解くのが楽しいのです。
難しくてもけっして諦めたりせず、間違ったら何度でも初めからやり直します!
数独は、論理的に考え確実に当てはまる数字を選んでいくことですよね。

可能性のある数字をじっくり考えているとき、以前に夫が言った言葉をよく思い出します。
その当時は、数独に全く興味がなく効率的な解き方も知りませんでした。
夫は買ってきた数独冊子で楽しんでいました。
私も試しに挑戦してみたけれど、全然できなくて面白くなかったのです。
その時、夫が私にアドバイスしてくれました。
「分からなかったら、適当な数字を 『エイや!』 と入れたらいい」と言いました。
そんな解き方では、たまたま上手くいくことはあっても正当なやりかたではない、とその時でも思ったものです。

数独を解いている時、今でもその言葉を思い出します。
どうしてあんないい加減な解き方を得意そうに言ったのかしら〜と思い起こしていて、ハッと気づきました。
それはすなわち夫の生きる姿勢そのものだったのではないか、と思ったのです。
相手の状況や気持ちがよく分からないから、何と言ってよいか分からない。
だから 「エイや!」 と適当な言葉を並べてきたのではないかしら。
それがたまに偶然にも上手くいくときもあるし、相手に対しての心無い言葉だったり、拍子抜けするずれた発言だったり、失言だったりもする。
黙っているのもいけないと思い、適当な言葉を発してその場をやり過ごす、その言葉には深い意味はない、ということ。
そうすることで、人との関係を適当にこなしてきたのかと思いました…
夫は、その場限りの言葉を口にしてみる、とくに深い思いがあるわけでない、それが彼にとって「普通」だったのではないかしら。
そして彼は、他の人もおおむね自分と同じだと信じ込んでいます。
数独を解いていると、いつもそのことを思い出します。


先週、悲しい別れがありました。
私は亀さんを飼っていました。
いや私が好きで飼い始めたのではないです。
23年前に夫が子供にせがまれてスーパーで気軽に買ったものです。
その後、子供と私がお世話していました。
ずっと狭い容器の中で飼っていたのですが、コロナで家に居ることが多いので、春ごろから庭に放してみました。
亀さんは嬉しそうに庭を歩き回り、手足を伸ばして日向ぼっこしたり、草の中に隠れて寝たり、動き回っていました。
水場も作ってやると場所を覚えて、水浴びもしていました。
私はそれを眺めると、いつもとても幸せな気持ちになりました。

以前に庭での猫の糞尿に悩まされたので、塀や柵などで侵入してこないように完璧に囲っていました。
だから猫は入ってきたことがなく、襲われる心配はないと思っていました。
ところが、イタチにやられてしまいました…
イタチ(チョウセンイタチ)は小さくて頭さえ入れば、どこにでも侵入するそうです。
そして肉食で獰猛で、鶏や外で飼っているペットも被害に遭うとのことでした。
狙われたら、ひとたまりもありません。

食いちぎられた亀さんを見て、私は悲しいというより腰を抜かしそうでした。
夫に亀さんのことを伝えると 「庭に放しているからや」と私を責めて非難するように、吐いて捨てるように言いました。
私は「フン」と軽く鼻を鳴らして知らん顔しました。
夫ゆえの、さもありなんの言葉だと思いました。
23年も共に生きた亀さんのあっと言う間の最期でしたが、私は夫の言葉に感情を殺してしまい意外にも淡々としていました。

午後になってから、遠くに暮らす3人の子供たちに事件のあらましをラインしました。
子供たちはすぐに返事をくれたり電話をかけてくれたりして
「長い間お世話してくれてありがとう。可哀そうやったけど、庭で遊べて幸せやったと思うよ」
「ビックリしてショックだったことでしょう。本当に今まで育ててくれてありがとう」
「気を落とさないでね、亀さんも庭で過ごせてありがとうと思っているよ」
みんな優しい言葉をかけてくれました。
私はそれを読みながら、可愛かった亀さんとの暮らしを思い出し、しばらく嗚咽して泣きました。

首をさすってやると、私に甘えてされるがままにじっとしていた亀さん。
庭をノッソノッソと楽しそうに歩きまわっていた亀さん。
首を伸ばして空を見上げたまま、風を感じるかのようにずっと同じ姿勢でいた亀さん。
餌をねだって私を目で追っていた亀さん。
本当に可愛かった。
そして何より家の中で話しかけられる存在、心を寄せられる存在だった…
夫にはなんの思い出も感情もないのでしょう。
ずっと一緒だったのに。
私はそれについて腹を立ててはいけません。
仕方のないことだもの。

8月26日

皆さん、お元気ですか?
私は今のところ元気にしています。
でもこの猛暑で気持ちまでグッタリします。
今週は平年の暑さに戻るという予報だったので期待していたのに、あと少しの辛抱と自分に言い聞かせていたのに、今週の大阪は相変わらずの体温を超える酷暑です。
熱中症が身近に迫っている気がします。
それでも早朝5時の散歩時は、生暖かい風ではなくほんの少しの涼しさを感じるようになってきました。

私はずっと不眠症です。
朝早く目が覚める。朝というより夜中に目が覚めて眠れなくなることがよくあります。
だから早朝散歩は、明るくなるのをひたすら待って出かけるので、苦になりません。
最近になって初めて気が付いたことがあります。

明けの明星。
夜明けに煌々と照らす金星は、朝の活力をもらえる気がして、一日の始まりを感じます。
お盆のころは、三日月と金星が仲良く並んでいて、本当に美しかった。
今まで早く起きていても、寝床でゴロゴロしているだけで、窓の外を眺めることなど思い付きもしませんでした。
永久に変わることなく輝いている星に感動している自分に、驚いています。

夫と気持ちが通じ合えない、話ができない、感情を共有できないという関係でのカサンドラ症候群の一番の辛さは、孤独を常に抱え込むことです。
それをいかに上手に自分で克服していくかで、夫との暮らしを回していけると私は考えてきました。
そうせざるを得ない、そうしないと生きていけない、狂ってしまいそうになるからです。
人との関わりを多く持って、自分を理解してくれる友人や知人をたくさん持つこと。
そのために、自分の好きなことや仕事を邁進していけば、家庭での孤独感は薄まると信じて、ずっと生きてきたように思います。
実際、それは上手くいっていた。

ところがコロナ禍のもとでは、人との断絶を強要されて、世間は「家族の繋がり」に収束していて、重苦しいものがあります。
夫婦単位や家族単位ならOKということが、私には重くのしかかってくる。
私に家族はいない。
自立している子供たちはとても遠くに暮らしているので、滅多に会うことはない。
家族が集うことなどない。
「家族で、家族で、」と安全パイのように繰り返すメディアに、とても違和感を覚えてしまい、それのない自分を突きつけられるような気がするのです。
このコロナ禍ではいっそう、夫と普通の会話ができない苦しさを感じてしまいます。

でも…夫は、コロナ禍を物ともせず元気です。
町内会の役員会や老人会催しに誘われて、毎日とても忙しそうです。
ジリジリ照り付ける太陽と体温を超える気温なのに、グランドゴルフにも絶対に休まないで行きます。
この危険な酷暑で、しかも高齢者の集まりだから、夏は休みにしてもいいのに、とおせっかいな老婆心でつい考えがち…
最近になって始めた麻雀にも定期的に休まず通っています。
「麻雀なんて、ソーシャルディスタンス守れないやん、大丈夫なん?」
と私が尋ねると
「マスクしてるから、大丈夫」
と涼しい顔で応えました。
全く何の不安も疑問も持たないのが、私は羨ましい…

私は感染が怖くて、この半年のあいだ堅い殻に籠っていました。
でも最近になって、専門家の意見も種々多々あり異なるので、感染対策は自分でよく考えて、行動していこうと思うようになってきました。
気持ちが鬱になる方がよくないと思えてきたのです。
自分を規制することに終始していると、精神が持たないと思うようになってきました。
人との接触はしないまでも、家の外へ出かけようと思っています。
もう少し涼しくなったら、一人で自転車乗って遠くへ出かけたり、一人で美術館を訪ねたり、一人で精進料理を食べに行ったりしてみたいと思っています。

そうした気持ちも時には萎えそうになるのですが、明けの明星を見上げるたび、よし今日も頑張ろう、と自分に言い聞かせるのです。

8月14日

いつのまにか8月も半ばを過ぎようとしています。
気になりつつ、なかなかブログ更新ができませんでした。

今は猛暑。
毎年、大阪の夏はとりわけ暑い、暑すぎると思っていましたが、今年は全国的に酷暑となっています。
ただでさえコロナ禍で出かける機会もなくなっているのに、この猛暑では家に居るしかなく、精神的にも肉体的にも不健康な毎日を送りがちです。

先週から、朝5時に起きた時は散歩に出かけることにしてみました。
日の出前とはいえ涼しくもないのですが、それでもまだ心地よくウォーキングできます。
6時までに戻らないと、ギラギラした太陽に照り付けられるので時間を気にしつつ歩いています。
早朝でもたくさんの人がジョギングや、ウォーキングで汗を流していました。
私も運動不足を少しでも解消したいと思っています。
家に居るばかりだと、刺激がなくて、そして暗いニュースばかりで気が滅入ります。

今年は戦後75年という節目の年でもあるのか、ニュースでも戦争についての特集が目につきます。
とくに90代の戦争を体験された方々が、つい最近になってようやく重い口を開き証言されていることに、私は衝撃を受けました。
「思い出し語ることは辛く苦しいが、このまま伝えずに死ぬことができない、もう時間がない、次の世代の人達に伝えなくてはいけない。」
という方々の強い意思を私も真摯に受け止めなくてはならないと感じました。
毎年この時期に目にしていた原爆体験や戦争の悲惨さのニュースであったはずなのに、その度に理解していたはずなのに、なぜか今年はひときわ自分に引き寄せて考えられる気がしています。
いつか長崎や広島に行ったり、戦争資料館などを訪れてみたいと思いました。

私はコロナ禍での自分ルールを決めていて、人に会う場合は1人としています。
だから人と会う機会がほとんどなくなっています。
わずかな仕事もあったのですが、今年いっぱいは全て中止となりました。
共通の趣味や楽しみで結ばれていた仲間やグループもたくさんあったのですが、そのどれもに参加できなくなりました。
それで、ときどき憂鬱になることもあります。
せめて夫と他愛ないお喋りができれば気晴らしもできるのですが、それは無理だし…
仕方ないから、この静かな有り余る時間を自分の変身に充てようと試みています。

自分の内面を磨くべくお勉強、ということも考えられますが、それは努力を要して少し難しいので、外見から変えてみようと思い付きました。
それは緊急事態宣言からのことですが、先ずはグレイヘアに挑戦することにしました。
私のカラー歴は20年。
だんだん白髪が多くなってきて、染める回数が多くなっても、辞める勇気はありませんでした。
いつも外出予定を考えては、カラーしてきましたが、とても面倒で大きな悩みだった。
自分に嘘がある、ということも苦しかった。
もし病気で入院になったら髪の毛はどうなるのだろう、ばれてしまう、という怖さもあった。
それでステイホームで誰にも会わないこの機会を逃しては、グレイヘアに移行できない、と決断しました!
しかも自分でベリーショートに切ってしまい、一気にグレイヘアに挑戦しました!

「傍目にはプラス10歳に見えるよ」と美容師さんに言われましたが、その軽やかさは筆舌に尽くしがたいくらい快適です。
白髪が思った以上に多いので見た目は老けて見えるかもしれませんが、何より心が解放されて、生き生きと明るい気持ちになりました。
今はベリーショートグレイヘアに負けないようなお顔になるべくマッサージをしてみたり、グレイヘアに似合う明るい色合いの服を考えたりするようになりました。
また老けて見えないように、姿勢に気を配り、健康的な食事を心がけて、新陳代謝できる身体づくりを考えることも楽しいです。
何より「自分に嘘がなくなった」ことが心理的に大きく作用している気がします。

あじさい会が再開されたら、以前の私を知る方は、きっとビックリされるでしょう。
外見がかなり変わったから。
友人達にも写真を送っては、ビックリされています。
そして「よく思い切ったねー!!」と大笑いされています。
友人達からの返信には「ご主人の感想は?ビックリしているでしょ!」と書かれています。

夫は何の反応もなく、何の言葉も全くありません。
これこそが彼の特性だと思っているので、私は別に驚きはしないけれど、他の人は俄かには信じられないだろうなと思うのです。
もし私が友人に「夫は何の感想も言わないよ」と伝えれば
「いや、ご主人はビックリし過ぎて、言葉が出ないだけだよ」とか
「似合わない、なんて言おうものなら怒られるから黙っているのよ!」
などと笑って言うことでしょう。

家庭内別居状態とはいえ、毎日顔を合わすし、必要な事は話をします。
夫がいつもと変わらず何事も起こっていないかのように振る舞っているのは、ひょっとしたら私の新しい髪が見えていないのかもしれないな、と考えたりします。
発達障がいの人は、細い筒を通してモノを見ているような状態、と何かの本で読んだことがあるからです。
いや見えていても、何の関心もないからなのかと考えたり…
私も夫に「どう?!この髪型とグレイヘア!」なんて絶対に話しかけたりしません。
もしそういう問いかけをしたら必ず「あぁ、うん」でお終いになるのが分かっているからです。

私は夫がアスペルガーだと知って、本当に良かったと思っている。
夫の言動でモヤモヤすることが無いからです。
こうしてくれたら、こう言ってくれたら、という期待が微塵もないので、悩むことがないのです。
夫には共感を求めないけれど、他の人とは共感し合いたい。
それが必要だから、早くこのコロナ禍が収束することを願ってやみません。
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR