12月17日の会

12月17日あじさい会

<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻

<日時>
2015年12月17日(木曜日)
10時〜12時

<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 701

<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円

参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください


12月17日の会を終えて

初めての方3名を迎え6名でお話しました。
今回は30代40代の若い方々ばかりの参加でした。
30代40代、心身ともに人生で最も充実し輝く年代です。
その輝くべきときに、夫と心が通じ合えない苦しみを抱え絶望的な思いに打ちひしがれて、このようなあじさい会を訪ねてこられるお気持ち、いかほどのものでしょうか。
何とか夫と上手くやっていきたい。何か方法はないものか。
夫と仲良くしていきたい。夫に愛されたい。振り向いてほしい。等々
どの方も切実な気持ちで参加してくださっていることが分かります。
だからとても苦しいのです。
私にはその気持ちが手に取るようによく分かります。
自分も歩んできた道だからです。

でもその年代で、アスペルガーという言葉に出会ったことは、とても幸運ではありませんか?
とても辛いけれど、これからの人生を少し軌道修正することができます。
自分の感情をうやむやにすることなく、今後の生き方を決めることができます。
無駄な試みをせずにすみます。
夫の言動に右往左往したり、振り回されたり、自分を責めたり、罪悪感を抱いたりしなくて済みます。
また不要な夫への怒りもコントロールされることでしょう。

私自身の30代40代は、夫と気持ちが全く通じ合えないということを誰にも話せず、自分さえもごまかして、深く考えようとしませんでした。
日記にさえも夫のことは書けなかったのです。
そのことに真正面から向き合い自分の感情に正直になるということは、夫婦のあるいは家族の崩壊につながるパンドラの箱のようなものでした。
けれども50代になって夫婦二人になったときに、重く重くのしかかかり心身に異常をきたすようになって、ようやく自分の感情と向き合えました。
その時、過ぎた日の偽りの自分をとても後悔し情けなさでいっぱいでした。
自己嫌悪というのか、そのことが私を苦しめました。
それから悪戦苦闘し何年も経て、今は自分を許し、夫の事情も理解し、与えられた環境の中で穏やかな日々を送るように心がけています。

30代40代であじさい会を訪ねられる方、それは大きな一歩です。
私のようにその時代をごまかしてしまった者からは、勇気ある人たちだと思うのです。
自分が納得する悔いのない人生を送れるように、お互い頑張りましょうね。






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11月24日の会

11月24日あじさい会

<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻

<日時>
2015年11月24日(火曜日)
10時〜12時

<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 701

<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円

参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください


11月24日の会を終えて

初参加の方2名を迎え6名でお話しました。
初めての方だと話したいことが多すぎて、何から話せばよいのか見当がつかないことでしょう。
けれども2回目3回目の方でもまだまだ話し足りないことが多いです。
よく話題になるのは「夫の家族は変わっていた」「夫の家族に振り回された」という話です。
それは世間的にはよくあることかもしれませんね。
ですが決定的に違うのは、親戚と理不尽なトラブルがあっても夫は妻を助けてはくれない、間に立って話し合って解決しようなどとは、決して動いてくれないことです。

私の場合も夫の家族に、結婚当初から大きな違和感を覚えていました。
結婚することが決まって初めて彼のお姉さんに会ったとき、彼女は私とは初対面にも関わらず、いきなり弟がいかに優秀で素直で性格のよい人間かを得々と話して聞かせました。
延々と続く自慢話のように…そして私については一言の質問もしなかったのです。
弟は優れた人物だからよく尽くしてくれ、というような話でおしまいになりました。
私のことなど一切関心ないという話しぶりでした。
あまりにも一方的な会話で結婚相手である私を無視した話し方で、腹が立つと言うより呆気にとられて驚いたのです。
その時の光景は今でもはっきり思い出すことができるほど、強烈な体験でした。

夫は5人兄妹でしたが、盆正月の集まり時でも、皆さん自分の話ばかりを一方的にして、そうして家族の会話が成り立っているようでした。
それなのに、私は好かれるお嫁さんになりたくて、何歳も年上の兄妹たちの話の聞き役に徹していました。

その後いろいろなトラブルがあって、(とてもここに書き切れる内容ではありません)疎遠になっていましたが、昨年甥の結婚式に招待されました。
丸いテーブルで新郎の母親一人を除く夫の兄妹4組の夫婦が同席になりました。
その時、彼らは自分の弟である私の夫には一言も話しかけず、疎遠で嫌っていたはずの私にばかり話すのです。
私はまたサービス精神で聞き役に徹していましたが、ふと夫を見ると、兄妹たちの話をまったく無視してお料理を食べ続けています。
兄妹たちは弟に話しかけても、相槌も打たないし、感想も言わないことを知っていたのだとようやく気づきました。
兄妹たちは私には全く関心がないけれど、私がうなづいたり相槌うったり笑ったりと反応してくれるので自分の話が思う存分できて心地よかったのです。

私は時々考えます。
嫌なときや聞きたくない気持ちの時は、自分だって無視すればよかったのだ、と。
誰にも好かれるように誠心誠意尽くすことなど必要ないのだ、と。
通じる人と通じない人が存在することを今ごろ知ったなんて遅すぎる、と悔やまれます。

夫の親や兄妹と大きなトラブルが生じたとき、彼は私に謝ることも庇ってくれることも、またそれについて話すことも説明することもしませんでした。
親や兄妹に抗議してくれることもありませんでした。
何度も夫婦で話し合いを持とうとしても、途中で遮られてうやむやでお終いでした。
「今後のことを話して決めたい」と言っても「将来なんて誰にもわからん」でおしまい。
何ひとつトラブルについて話し合うこともなかったのに、彼が最後に「雨降って地固まる」と言い放った時には呆れて返す言葉もありませんでした…

今では何もかも透きとおるように分かります。
彼には「雨降って地固まる」という経験ができないのです。だから言葉の使い方が分からないのは当然でしょう。

「雨降って地固まる」ことわざ辞典で引くと
もめごとが起こったとき、それを解決するために議論したりして、互いの気持ちが理解できるようになることがある。だからもめごとのあったあとは、かえってよい結果を招くことがあるということ。

すべてはもう過ぎたことです。
時間を無駄にせずに前に進んでいきたいと思っています。


11月9日の会

11月9日あじさい会

<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻

<日時>
2015年11月9日(月曜日)
10時〜12時

<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 701

<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円

参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください


11月9日の会を終えて

いつもなら直前の駆け込み申し込みなどがあって、参加者数は10名弱になるのですが、今回は早々に3名の申込みがあっただけで、私も加えて4名でした。
4名の参加者は偶然にも同じ世代で、子育ても終えた結婚生活30年以上、という点でも共通項がありました。
皆さん初対面でしたが、同じような道を辿り同じような気持ちを抱えてきたことを確認し、親しく話をすることができました…

結婚30年以上。何て長いのでしょう。
共通するのは、そんなに長く人生を共に過ごしていても妻が何を感じているか、何を考えているか、何を喜び何に悲しみ何に悩んでいるか、関心を持ってもらえないということでしょう。
「子はかすがい」という言葉さえも通用しなかった30年の重さを今日は皆さんと確認することができました。
そしてもう一つ感じたのは、何だかおかしいと思いつつ乗り越えてきた長い月日が、私たちをたくましくしてくれているとも思いました。
強くなっているというわけではありませんが、ある意味での諦めや客観的な見方ができるようになってきた、あるいはならざるを得ないという状況でしょうか。
子供たちも成人した世代だから、気持ちにゆとりがあるのかもしれません。

私の場合、夫と二人暮らしになってからカサンドラ症候群になりました。
うつ病寸前まで落ち込み、毎日悲観して涙がこぼれてばかりだった時期があります。
とんでもない人生を送ってしまったということに愕然とし、これからどうしていけばよいのかと悩み苦しみ、一人でいると泣けてきて仕方なかったのです。
しかも一人で号泣してしまうから、自分でも驚くほどでした。
日記に書いては泣き、友人に打ち明けては泣き、車を運転しながら涙をこぼしという具合に、自分の辛かった過去を慰めるかのようにさんざん泣きました。
そのような時期が何年か続いた後、私は吹っ切れたのか泣かずに夫のことを人に話せるようになりました。

今日集まった方々も、きっと長い年月の悔しい気持ちや辛い気持ちに涙をたくさん流されたことでしょう。
それを乗り越えた強さたくましさのようなものを互いに感じることができました。
過ぎたことは仕方がない。これからどうしていけば、自分の心身を穏やかに保つことができるのか、そのことを第一に残りの人生を考えていきたい、と皆さんの気持ちが一致して散会しました。


10月28日の会

10月28日あじさい会

<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻

<日時>
2015年10月28日(水曜日)
10時〜12時

<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 803

<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円

参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください。


10月28日の会を終えて

初めての方4名を迎え、10名でお話しました。
知らない会を訪ねてみること、不安なお気持ちだったでしょう。
どの方も自分の話す順になると淀みなくお話されるのに、会が終わった後でとっても緊張したという声を聞きます。
このような会に参加してみたい、と思った時点で自分の人生を何とかしたいと動き始めた一歩だと思うのです。
辛い気持ちを吐き出したり、人の話に共感したりするだけの会ですが、自分は今後どうしたいのかを考え直すきっかけの時間になれば幸いだと考えています。
どうぞ気楽な気持ちでお越しくださいね。

参加者の話をお聞きしていると、忘れていたさまざまなことが思い出されます。
夫に違和感を覚えていたことの一つに、家庭の中で私の話には無視するか関心を示さないのに、外では家族思いで何でも知っているかのように振る舞うことでした。

娘が小学生のときにスピーチ大会に出ました。関西代表として東京大会まで行くことが決まり、他のきょうだい達とも大喜びしている中で夫は無関心でした。
それでも娘と私は東京大会に備えて、原稿をどのように読めば伝わるか考えて毎日練習に明け暮れていました。
小さな社宅に暮らしていたので、リビング脇の部屋で練習していれば何もかも聞こえるはずです。
けれども夫はリビングでテレビなどを見ながら、一度たりともどんな内容なのかと尋ねもせず知らん顔でした。
スピーチはほぼ出来上がり明日は東京へ行くという日に、私は「お父さんにも聞いてもらおう!」と提案しました。
その内容や話し方や少し身振りを入れて工夫したりしていたので、何か意見や感想をもらえればと思ったのです。
また娘に父親からの励ましの言葉もかけてほしかった。
夫はさも面倒くさそうに3分ほどのスピーチを聞いて、ひと言の言葉もかけなかったのです。
「ふうん」で終わりだった。
娘の成長に夫婦で喜びたいけれどそれはできず、また娘に対しての夫の態度にも私はとても腹が立ちました。
もちろん東京大会から帰ってきても、その結果について尋ねることも一切なかった。
それなのに、他人には娘のことを「東京大会に行った」と自慢しているのです。
どうしてそのことを本人に言って褒めてやれないのか、娘の頑張りを私と一緒に喜べないのか、ととても違和感を持ちました。
私は他の誰にも娘がスピーチ大会に出場することなど知らせていないのです。
自慢話になったら嫌だし、個人的な事なのであえて言うほどではないのに。
夫は、家族の個人的なことも、他の人に家族の話をする材料の一つとして捉えているのです。
私たち家族の気持ちに沿うことはできないのに、事実だけをばらまいて家族思いであるかのような行動に違和感を覚えながらも、「夫は気持ちはあるけど口下手なのだ」と言い聞かせてきてしまいました。
そうしないとやっていけなかったのです。

もう一つ思い出したことがあります。
私は笛を吹くのが趣味でしたが、当時暮らしていたマンションでは苦情を言われて吹きにくい状況になりました。
それで仕方なく車の中で練習することにしたのです。
誰の迷惑にもならない駐車場を見つけ、暑いときも寒いときも練習していました。
笛を吹くと嫌な気持ちも薄れ爽快になれるのです。
私にとっての唯一のストレス解消でもありました。
あるとき、二人連れの警官が無言でいきなり車のドアを開けて、身分証明書を出せと言うのです。
私は不審者として扱われたのでした。なかなか理解してもらえず、横暴な物言いでした。
警察のとても失礼な態度に腹が立ち、何人もの友人たちにその出来事を話しました。
みんな口を揃えて
「酷い、感じ悪い。きっと誰かが意地悪で通報したに違いない」
と慰めてくれました。
夫にもそのことを話したのですが、いつも通りに「ふうん」と言ったきりでした。
ところがそのことを夫は職場の人や知合いの人に、ことあるごとに妻の笑い話として話していることを知りました。
「うちの奥さん、笛吹いてて警察につかまったんやで、ハハハッ」
私の不快で悲しい気持ちなど気づきもせず、事実だけを面白おかしく話の材料にする夫の態度に、夫にはなるべく自分のことは話さないでおこう、とその時も思ったのでした。
(アスペルガーのことは知りませんでしたが…)

人の気持ちが分からない夫には、他にどうすることもできないのかもしれません。
でも共感を期待して接していると、肩透かしをあったように傷つきます。
無理なのです。


今回は、多感な年ごろの小学生や中学生の子供さんのおられる30代40代の多い会でした。
子供さんを育てておられる時期は忙しくて、とくに夫の協力が得られない分、精神的な負担も大きくのしかかります。
夫の事情を知らないままに何となくやり過ごし子供が巣立ってしまった年長の私には、その大変さに共感することしかできません。
この会で仲間を見つけ知恵を出し合って支え合い、何年か後には
「いろいろ悩んだことも自分への試練となり夫のおかげでたくましくなったわ」
と自分を誇れるようになりたいですよね。



10月13日の会

10月13日あじさい会

<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻

<日時>
2015年10月13日(火曜日)
10時〜12時

<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 803

<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円

参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください。



10月13日の会を終えて

キンモクセイの甘い香りが町じゅうを包む気持ちのよい一日に、会を催すことができました。
初参加の方が今回は5名いらして、9名でお話をしました。
あじさい会では、1回限りの参加という方が多いです。
それでも会の後半になれば、お互いによく知っているかのような錯覚を起こしてしまいます。
長年の友人のような感覚さえするのです。
会のあとのランチでまた延々としゃべり続けると、離れがたい気持ちになります。
言葉では表現しにくい夫との生活上の違和感が互いに瞬時に分かりあえるというのが、この会の特長です。
分かりあったところで自分を取り巻く状況が変化することはありませんが、一人ぼっちではないことを確認できます。

私は現在50代後半で、夫は6歳年上で定年退職しています。
夫婦二人だけの暮らしは、すでに8年になります。
二人暮らしになったとき、今後の長い老後に向けて夫婦の時間を大切に紡いでいきたいと願っていました。
二人で共有できるものがあれば、会話も弾むだろうと考えました。
その一つとして、二人でのお出かけをするように心がけました。
旅行もしょっちゅう計画しました。たくさんの街を訪ね観光し、美術館も見て歩きました。
けれどもそのうちに、私はとてもしんどくなってきたのです。
旅の感動を共有することが全くできなかったのです。
夫の楽しみ方と私の楽しみ方とは、共通するものがないことに気づきました。

私は旅で思いがけなく人の親切を受けたことを喜んだり、偶然に見つけた美しい景色に感動したりするのが好きだったのですが、夫はガイドブックに掲載されていて誰かが説明してくれているものでないと感動の言葉を口にしませんでした。
活字にされているものでないと、取るに足らぬものとしているようでした。
夫は美術や音楽や歴史についてもたくさんの知識があって、学校の先生が講義するように私に話してくれました。
私は夫のことを何にでも造詣が深くて賢い人だ、とずっと尊敬の念を抱いていたのです。

二人だけの時間が長くなって、二人で出かける時間が増えて、ようやく本当の夫の姿が見えてくるようになりました。
美術館に行って、彼が私に得々として説明する話は、美術書そのままのコピーです。
そこに夫の感性や感情はまったく入っていないことに、ようやく気づきました。
「この絵を見て、どう感じる?」「私はこの絵はあまり好きではないな。」など感想を話しあえれば楽しいだろうに、それがまるでなかった。
戦争での歴史的建造物を訪ねた時も、私は当時を想像して恐ろしさに言葉が出なかったことがありました。
重く苦しい気持ちになりました。
けれども彼は淡々として、年代や犠牲者の数を正確に口にするばかりで、ひと言も自分の受けた印象を話さなかった。
そのことにとても違和感を覚えたのです。
夫は知識を頭にためることが、教養だと思い込んでいるのだと思います。
知識を得た上でさらに自分の頭で考えることが大切なのに、自分の感性を磨いたり湧き上がる感情を表現することが大切なのに、その部分がすっぽり抜けているのです。
だから一方的な話を拝聴することはできるけれど、気持ちを分かち合うことができず違和感ばかりが残ります。

夫の感じ方と私とは違い過ぎていて、旅行で24時間ずっと一緒にいるのは苦痛であると気づいてから無理するのはやめようと思いました。
その後、旅行は無理でも夫婦の時間を大切にしたいと思い直し、週末にレストランで食事しようと提案しました。
夫は私の提案にはいつも乗ってくれます。けっして嫌だとは言いません。
旅の計画もレストラン選びも、夫からは動かないので私がするのですが、それでも断るということはありませんでした。
言われたことはきちんとこなすというアスペルガーの特徴ですよね。(当時は知りませんでしたが…)
雰囲気のよいレストランでゆっくり食事をしながら、離れて暮らす子供たちのことやお互いのことを話せればよいなと期待したのですが、会話は家での食卓同様まったく弾まなかった。
ぷつりぷつりと切れてしまう会話に、美味しい食事も辛く長い時間になって、いつしかやめてしまいました。
友人が週末は夫とウォーキングをしながら1週間の出来事を話すのが楽しみの一つ、と言っていたことを真似して、ウォーキングに何度か誘ったこともありました。
ところが、会話をするどころか歩くスピードが互いに全然違っていて、歩調も合わせられず、それも諦めました。

二人で何かすれば楽しいだろうと思い込んでいたのが、二人でいるほうが孤独で寂しいという現実を知ることになり、きっぱりと二人の時間をあれこれ演出するのはやめようと思ったのです。
夫としても私からの誘いは断れず、さらには私の気持ちに共感するように勝手に期待されたことは迷惑極まりなかっただろうと思っています。

夫にアスペルガーの特性があったと知る前に、私はなるべく距離を置くという結論に至りましたが、もっと早く知っていれば互いにギクシャクした関係に長年悩まされずに済んだのにという思いもあります。
彼にとっての妻は、家事を担当して子どもを産んで家族の形態を作ってくれる人という以外には何もないのだと思います。
私はそのことを胆に銘じ受けとめ、気持ちが揺れることなく自分だけを楽しませることをしていこうと思っているのです。





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