9月7日の会
9月7日あじさい会
<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻
<日時>
2015年9月7日(月曜日)
10時〜12時
<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 803
<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円
参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください。
9月7日の会を終えて
夏休み明けのせいか、子育て世代の参加が多かったように思います。
初参加5名をお迎えし、10名で話をすることができました。
会の進行は自己紹介で一巡したあと、お一人ずつ話していただきます。
今回は自己紹介に3分×10、一人ずつのお話に6分×10としました。
自分の時間は、9分だけです。とても9分で自分の長年の悩みを話せませんよね。
ですが、参加人数が多いと人の話の中に自分を見つけることがあり、あたかもそれを吐き出したような気持ちになれます。
12時に会を終えたのち、場所を変えてランチを兼ねた2次会となり、昨日は延々と15時までお喋りしました。
帰り道ではそれぞれの方の歩んでこられた人生に思いを馳せ自分の今後の生き方を確認しつつ、新たな気持ちで家にたどり着くことができます。
参加された方の話の中で、思い出すことがありました。
10年ほど前、大きくなっていた3人の子供たちと離れて、私は夫の赴任先に引っ越ししました。
新婚以来の夫との二人暮らしが始まったのです。
友達もいない遠く離れた土地で、私は夫と仲良く暮らしていきたいと強く願っていました。
けれども会話がかみ合わない、共感に乏しい、家族に無関心、などという薄々感じていた夫の事実を直視せざるを得なくなり、私は次第にうつ症状に陥っていきました。
夫の話がどんなに一方的でも、私はいつも頷きながら相槌をうち、お話を促すように聞いていました。
「うん、それでどうしたの?」「それは面白いね、良かったね。」「へぇ~そんなこともあるんだ。」「なるほどねぇ~」などなど。
ところが私の話には頷くどころか、早く切り上げろとばかりに表情も変えず相槌も打たず、欠伸をしきりにしたり話の途中で席を立ったり…そればかりか打ち切るように私の感情を否定するような発言をされました。
自分の気持ちを聞いてもらいたくて話し始めても、言わなければよかったという不快な気分になるのです。
それで、あるとき実験しようと思い付きました。
夫が話すとき、私は夫と同じ態度を取ろうと思ったのです。
共感しながら聞いてもらえない不快さを感じ取って、反省を促そうと考えたのです。
夫は一方的に得意そうに話すのが好きなのですが、それについては興味ないとばかりに
「ふうん」とだけしか反応しないことにしたのです。
面白いことに、共感しながら話を促してくれる聞き手がいないことには、一方的な話でも話しにくいようでした。
相槌うって合いの手を入れてもらわなければ、彼も話し続けられないのです。
壁に向かっては喋れないということです。
そうして夫婦の会話はなくなりました。
私たちが夫婦の会話と思っていたのは、夫の一方的な話を私が受けとめるだけのものだったのです。
私は彼が
「どうして、そんな不機嫌な興味なさそうな態度で聞くんだ」
と話を切り出してくるのを待ちました。感じが悪い、と怒るに違いないと信じて疑いませんでした
それが作戦だったからです。そのときに私は
「ほらね、人の話に相槌を打たないって話しにくいものでしょう。あなたの聞く姿勢を真似しただけだよ。嫌でしょ。だから注意してね。」
その言葉を用意して、ずっと今か今かと待ち続けましたが、彼は私に話すのをやめただけで、私に理由を尋ねることはしませんでした。
それからズルズルと夫婦の会話がなくなって現在に至るのです。もう何年も経っています。
ぞの実験と合わせて、もう一つの試みもしていました。
それは私が話をするとき、途中でぷっつりやめて反応を観察することでした。
私の話を聞いているかどうか確かめたかったのです。
大きな話の流れの途中で、結果や結論もなく話をやめるというのはとても奇妙なものです。
ところが、彼は一度も
「えっ、それでどうなったの?」「結局、どうすることにしたの?」などと質問することはついぞありませんでした。
ぷっつり切れたままの話を何事もなかったかのように、淡々と知らん顔のままでした。
それで、態度だけではなくて本当に関心がなくて聞いていないのだな、と確信したのです。
当時はアスペルガー症候群という存在も知りませんでした。
夫の話を聞いてあげないということに、私は長いあいだ罪悪感を持ち続けました。
なんて非情な人間なのだろうと自分を責めながらも、どうしてもできなかったのです。
ところが今では罪悪感はありません。自分を守るためには仕方ないと割り切っています。
彼の思い描く夫婦像でもなく、私の理想とする夫婦像でもなく、一人一人として分けてしまえばよかったのです。
それは子ども達がそれぞれに独立して残りの人生も短い世代だからこそ、できることかもしれません。
一緒に暮らしながらも互いに全く干渉せずに、それぞれ別の方向を向いて生きる。
子供さんを育てておられる若い世代に、お勧めできる生き方ではないでしょう。
孤独で寂しすぎます。
若い子育て世代の方たちが明るく前向きに希望をもって未来に向かっていけるように、このような自助会を通して何らかのお手伝いができれば本望だなと考えています。
<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻
<日時>
2015年9月7日(月曜日)
10時〜12時
<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 803
<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円
参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください。
9月7日の会を終えて
夏休み明けのせいか、子育て世代の参加が多かったように思います。
初参加5名をお迎えし、10名で話をすることができました。
会の進行は自己紹介で一巡したあと、お一人ずつ話していただきます。
今回は自己紹介に3分×10、一人ずつのお話に6分×10としました。
自分の時間は、9分だけです。とても9分で自分の長年の悩みを話せませんよね。
ですが、参加人数が多いと人の話の中に自分を見つけることがあり、あたかもそれを吐き出したような気持ちになれます。
12時に会を終えたのち、場所を変えてランチを兼ねた2次会となり、昨日は延々と15時までお喋りしました。
帰り道ではそれぞれの方の歩んでこられた人生に思いを馳せ自分の今後の生き方を確認しつつ、新たな気持ちで家にたどり着くことができます。
参加された方の話の中で、思い出すことがありました。
10年ほど前、大きくなっていた3人の子供たちと離れて、私は夫の赴任先に引っ越ししました。
新婚以来の夫との二人暮らしが始まったのです。
友達もいない遠く離れた土地で、私は夫と仲良く暮らしていきたいと強く願っていました。
けれども会話がかみ合わない、共感に乏しい、家族に無関心、などという薄々感じていた夫の事実を直視せざるを得なくなり、私は次第にうつ症状に陥っていきました。
夫の話がどんなに一方的でも、私はいつも頷きながら相槌をうち、お話を促すように聞いていました。
「うん、それでどうしたの?」「それは面白いね、良かったね。」「へぇ~そんなこともあるんだ。」「なるほどねぇ~」などなど。
ところが私の話には頷くどころか、早く切り上げろとばかりに表情も変えず相槌も打たず、欠伸をしきりにしたり話の途中で席を立ったり…そればかりか打ち切るように私の感情を否定するような発言をされました。
自分の気持ちを聞いてもらいたくて話し始めても、言わなければよかったという不快な気分になるのです。
それで、あるとき実験しようと思い付きました。
夫が話すとき、私は夫と同じ態度を取ろうと思ったのです。
共感しながら聞いてもらえない不快さを感じ取って、反省を促そうと考えたのです。
夫は一方的に得意そうに話すのが好きなのですが、それについては興味ないとばかりに
「ふうん」とだけしか反応しないことにしたのです。
面白いことに、共感しながら話を促してくれる聞き手がいないことには、一方的な話でも話しにくいようでした。
相槌うって合いの手を入れてもらわなければ、彼も話し続けられないのです。
壁に向かっては喋れないということです。
そうして夫婦の会話はなくなりました。
私たちが夫婦の会話と思っていたのは、夫の一方的な話を私が受けとめるだけのものだったのです。
私は彼が
「どうして、そんな不機嫌な興味なさそうな態度で聞くんだ」
と話を切り出してくるのを待ちました。感じが悪い、と怒るに違いないと信じて疑いませんでした
それが作戦だったからです。そのときに私は
「ほらね、人の話に相槌を打たないって話しにくいものでしょう。あなたの聞く姿勢を真似しただけだよ。嫌でしょ。だから注意してね。」
その言葉を用意して、ずっと今か今かと待ち続けましたが、彼は私に話すのをやめただけで、私に理由を尋ねることはしませんでした。
それからズルズルと夫婦の会話がなくなって現在に至るのです。もう何年も経っています。
ぞの実験と合わせて、もう一つの試みもしていました。
それは私が話をするとき、途中でぷっつりやめて反応を観察することでした。
私の話を聞いているかどうか確かめたかったのです。
大きな話の流れの途中で、結果や結論もなく話をやめるというのはとても奇妙なものです。
ところが、彼は一度も
「えっ、それでどうなったの?」「結局、どうすることにしたの?」などと質問することはついぞありませんでした。
ぷっつり切れたままの話を何事もなかったかのように、淡々と知らん顔のままでした。
それで、態度だけではなくて本当に関心がなくて聞いていないのだな、と確信したのです。
当時はアスペルガー症候群という存在も知りませんでした。
夫の話を聞いてあげないということに、私は長いあいだ罪悪感を持ち続けました。
なんて非情な人間なのだろうと自分を責めながらも、どうしてもできなかったのです。
ところが今では罪悪感はありません。自分を守るためには仕方ないと割り切っています。
彼の思い描く夫婦像でもなく、私の理想とする夫婦像でもなく、一人一人として分けてしまえばよかったのです。
それは子ども達がそれぞれに独立して残りの人生も短い世代だからこそ、できることかもしれません。
一緒に暮らしながらも互いに全く干渉せずに、それぞれ別の方向を向いて生きる。
子供さんを育てておられる若い世代に、お勧めできる生き方ではないでしょう。
孤独で寂しすぎます。
若い子育て世代の方たちが明るく前向きに希望をもって未来に向かっていけるように、このような自助会を通して何らかのお手伝いができれば本望だなと考えています。
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