fc2ブログ

11月9日の会

11月9日あじさい会

<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻

<日時>
2015年11月9日(月曜日)
10時〜12時

<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 701

<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円

参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください


11月9日の会を終えて

いつもなら直前の駆け込み申し込みなどがあって、参加者数は10名弱になるのですが、今回は早々に3名の申込みがあっただけで、私も加えて4名でした。
4名の参加者は偶然にも同じ世代で、子育ても終えた結婚生活30年以上、という点でも共通項がありました。
皆さん初対面でしたが、同じような道を辿り同じような気持ちを抱えてきたことを確認し、親しく話をすることができました…

結婚30年以上。何て長いのでしょう。
共通するのは、そんなに長く人生を共に過ごしていても妻が何を感じているか、何を考えているか、何を喜び何に悲しみ何に悩んでいるか、関心を持ってもらえないということでしょう。
「子はかすがい」という言葉さえも通用しなかった30年の重さを今日は皆さんと確認することができました。
そしてもう一つ感じたのは、何だかおかしいと思いつつ乗り越えてきた長い月日が、私たちをたくましくしてくれているとも思いました。
強くなっているというわけではありませんが、ある意味での諦めや客観的な見方ができるようになってきた、あるいはならざるを得ないという状況でしょうか。
子供たちも成人した世代だから、気持ちにゆとりがあるのかもしれません。

私の場合、夫と二人暮らしになってからカサンドラ症候群になりました。
うつ病寸前まで落ち込み、毎日悲観して涙がこぼれてばかりだった時期があります。
とんでもない人生を送ってしまったということに愕然とし、これからどうしていけばよいのかと悩み苦しみ、一人でいると泣けてきて仕方なかったのです。
しかも一人で号泣してしまうから、自分でも驚くほどでした。
日記に書いては泣き、友人に打ち明けては泣き、車を運転しながら涙をこぼしという具合に、自分の辛かった過去を慰めるかのようにさんざん泣きました。
そのような時期が何年か続いた後、私は吹っ切れたのか泣かずに夫のことを人に話せるようになりました。

今日集まった方々も、きっと長い年月の悔しい気持ちや辛い気持ちに涙をたくさん流されたことでしょう。
それを乗り越えた強さたくましさのようなものを互いに感じることができました。
過ぎたことは仕方がない。これからどうしていけば、自分の心身を穏やかに保つことができるのか、そのことを第一に残りの人生を考えていきたい、と皆さんの気持ちが一致して散会しました。


スポンサーサイト



10月28日の会

10月28日あじさい会

<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻

<日時>
2015年10月28日(水曜日)
10時〜12時

<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 803

<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円

参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください。


10月28日の会を終えて

初めての方4名を迎え、10名でお話しました。
知らない会を訪ねてみること、不安なお気持ちだったでしょう。
どの方も自分の話す順になると淀みなくお話されるのに、会が終わった後でとっても緊張したという声を聞きます。
このような会に参加してみたい、と思った時点で自分の人生を何とかしたいと動き始めた一歩だと思うのです。
辛い気持ちを吐き出したり、人の話に共感したりするだけの会ですが、自分は今後どうしたいのかを考え直すきっかけの時間になれば幸いだと考えています。
どうぞ気楽な気持ちでお越しくださいね。

参加者の話をお聞きしていると、忘れていたさまざまなことが思い出されます。
夫に違和感を覚えていたことの一つに、家庭の中で私の話には無視するか関心を示さないのに、外では家族思いで何でも知っているかのように振る舞うことでした。

娘が小学生のときにスピーチ大会に出ました。関西代表として東京大会まで行くことが決まり、他のきょうだい達とも大喜びしている中で夫は無関心でした。
それでも娘と私は東京大会に備えて、原稿をどのように読めば伝わるか考えて毎日練習に明け暮れていました。
小さな社宅に暮らしていたので、リビング脇の部屋で練習していれば何もかも聞こえるはずです。
けれども夫はリビングでテレビなどを見ながら、一度たりともどんな内容なのかと尋ねもせず知らん顔でした。
スピーチはほぼ出来上がり明日は東京へ行くという日に、私は「お父さんにも聞いてもらおう!」と提案しました。
その内容や話し方や少し身振りを入れて工夫したりしていたので、何か意見や感想をもらえればと思ったのです。
また娘に父親からの励ましの言葉もかけてほしかった。
夫はさも面倒くさそうに3分ほどのスピーチを聞いて、ひと言の言葉もかけなかったのです。
「ふうん」で終わりだった。
娘の成長に夫婦で喜びたいけれどそれはできず、また娘に対しての夫の態度にも私はとても腹が立ちました。
もちろん東京大会から帰ってきても、その結果について尋ねることも一切なかった。
それなのに、他人には娘のことを「東京大会に行った」と自慢しているのです。
どうしてそのことを本人に言って褒めてやれないのか、娘の頑張りを私と一緒に喜べないのか、ととても違和感を持ちました。
私は他の誰にも娘がスピーチ大会に出場することなど知らせていないのです。
自慢話になったら嫌だし、個人的な事なのであえて言うほどではないのに。
夫は、家族の個人的なことも、他の人に家族の話をする材料の一つとして捉えているのです。
私たち家族の気持ちに沿うことはできないのに、事実だけをばらまいて家族思いであるかのような行動に違和感を覚えながらも、「夫は気持ちはあるけど口下手なのだ」と言い聞かせてきてしまいました。
そうしないとやっていけなかったのです。

もう一つ思い出したことがあります。
私は笛を吹くのが趣味でしたが、当時暮らしていたマンションでは苦情を言われて吹きにくい状況になりました。
それで仕方なく車の中で練習することにしたのです。
誰の迷惑にもならない駐車場を見つけ、暑いときも寒いときも練習していました。
笛を吹くと嫌な気持ちも薄れ爽快になれるのです。
私にとっての唯一のストレス解消でもありました。
あるとき、二人連れの警官が無言でいきなり車のドアを開けて、身分証明書を出せと言うのです。
私は不審者として扱われたのでした。なかなか理解してもらえず、横暴な物言いでした。
警察のとても失礼な態度に腹が立ち、何人もの友人たちにその出来事を話しました。
みんな口を揃えて
「酷い、感じ悪い。きっと誰かが意地悪で通報したに違いない」
と慰めてくれました。
夫にもそのことを話したのですが、いつも通りに「ふうん」と言ったきりでした。
ところがそのことを夫は職場の人や知合いの人に、ことあるごとに妻の笑い話として話していることを知りました。
「うちの奥さん、笛吹いてて警察につかまったんやで、ハハハッ」
私の不快で悲しい気持ちなど気づきもせず、事実だけを面白おかしく話の材料にする夫の態度に、夫にはなるべく自分のことは話さないでおこう、とその時も思ったのでした。
(アスペルガーのことは知りませんでしたが…)

人の気持ちが分からない夫には、他にどうすることもできないのかもしれません。
でも共感を期待して接していると、肩透かしをあったように傷つきます。
無理なのです。


今回は、多感な年ごろの小学生や中学生の子供さんのおられる30代40代の多い会でした。
子供さんを育てておられる時期は忙しくて、とくに夫の協力が得られない分、精神的な負担も大きくのしかかります。
夫の事情を知らないままに何となくやり過ごし子供が巣立ってしまった年長の私には、その大変さに共感することしかできません。
この会で仲間を見つけ知恵を出し合って支え合い、何年か後には
「いろいろ悩んだことも自分への試練となり夫のおかげでたくましくなったわ」
と自分を誇れるようになりたいですよね。



検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR