6月23日の会

6月23日あじさい会

<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻

<日時>
2016年6月23日(木曜日)
10時〜12時 (9時50分開場)

<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 701

<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円

参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください
アドレス記入される場合は、「非公開チェック」でお願いします。

<お知らせ>
 参加希望者数が予定を上回ってきましたので、申し込みを終了致します。



6月23日の会を終えて

毎回たくさんの方の参加申し込みを受けるのですが、今回は予定していた人数の半分でした。
2回目参加の方4名、数回目の方1名の6名でお話をしました。
互いの話をするにはちょうど良い人数だったかもしれません。
2回目参加の方にお会いするとき、私はとても嬉しいです。
自助会が少しは役に立っていると思える瞬間です。

夫といると孤独感が増す、というのは参加者共通の悩みです。
相談したり話し合ったりすることができず、気持ちの共感や哀しみや喜びの共有もできないので、いつも一人の辛さを抱え込んでしまいます。
私は夫といると寂しさがよけいに増し悲しくなっていました。
いい齢をして「寂しい、孤独だ」なんて口にするのも恥ずかしいと思っていました。
けれども一緒に暮らしている夫に自分の気持ちを分かってほしいと考えるのは真っ当なことであり、ずっとそのことを拒否されていたら心のバランスを崩してしまうことに気づけたのは、カサンドラ症候群という言葉を知ってからです。

私は今、「シングルマザーであった」とか「独身者」と考えるようしています。
一人で寂しさも孤独も乗り越えて、明るく元気で自由でいようと思っています。
あるいは「家政婦を長年やってきた」と考えるときもあります。
家政婦としての仕事は子供をもうけることも含めて多岐に亘っていたけれど、今では定年退職して悠々自適に自分の時間をたっぷり自分のためだけに使いたい、と考えるようにしています。
そうすると、いわゆる世間の夫婦愛などというモノと自分を比較することもなく、罪悪感を抱くこともなく、私は私でいられます。
自分で自分を縛っているものから解放されます。
あじさい会を訪ねてくれる女性たち、そしてこのブログを読んで下さるカサンドラの女性に、どうか自分を一番大切にして一歩ずつ前に進んで行ってほしいと切に願っています。



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6月6日の会

6月6日あじさい会

<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻

<日時>
2016年6月6日(月曜日)
10時〜12時 (9時50分開場)

<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 701

<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円

参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください
アドレス記入される場合は、「非公開チェック」でお願いします。

<お知らせ>
 参加希望者数が予定を上回ってきましたので、申し込みを終了致します。



6月6日の会を終えて

あじさい会の1回目は2年前の6月でした。
どなたが訪ねてくださるかなーとドキドキして迎えた1回目のことが昨日のように思い出されます。
あれから数えること42回目の会を終えることができました。
今年になってから参加希望者が定員数を上回るようになり、たくさんの方と悩みを共有できるようになりました。
大人の発達障がいと共にその裏側にあるパートナーの苦しみも注目されるようになって、自分のことだと初めて気づく女性が増えてきたのですね。
どうにも解決できない問題は自分の努力が足りないせいではなかったと確認しあうのが自助会の役割だと思っています。
42回目の会は、初めての方7名を迎え11名で開催することができました。
初参加の方が多い会は、張り詰めた空気が漂います。
これまで溜めてきたいっぱいいっぱいの気持ちを語るのですから、何を話してよいものやら言葉に詰まることでしょう。
ましてや説明しにくい違和感、今まで他の人には理解してもらえなかった経験が、また否定されないかと懼れる気持ちも湧くことでしょう。
会の後のランチをする頃になってようやく、打ち解けた安心した気持ちで互いを話せることを毎回経験しています。

ランチの時に、「夫は言葉で伝えても理解してくれないけれど、文字にすると通じることがある。」という話で盛り上がりました。
私も、夫が活字になったものでしか信じない傾向があることを長い年月とても変だと思っていました。
私が経験してきたことを話しそれを踏まえて、「こういうことだと思う」と考えや意見を言っても、彼は始終胡散臭げな顔で相槌も打たず、首をかしげうすら笑いを浮かべ、「つまらないいい加減なことを言うやつだ」という動作をするのです。
その態度を見ると、話しの最後には私の声も小さくなり、話を打ち切らざるを得なくなります。
私の気持ちや経験を否定されたように感じ、ヒンヤリとした冷たいものを後頭部から背中にかけてチリチリと感じるのが常でした。

私が新しく仕入れてきた手の込んだ料理を作っても全く無関心で、「美味しい」とも「どうやって作ったのか」とも尋ねず、ましてや「わざわざ作ってくれてありがとう」の言葉もなく、食べ慣れない得体のしれないモノというだけのことでした。
それなのに、頂き物の食品に挟まれている説明のしおりを読むのは大好きで、それを熟読した上で深々と味わうというか訳知り顔で味わったふりを大げさにするのです。
彼には実際に活字にされた「説明書」というものが大事で必要なんだ、とよく思ったものです。
今にして思えば、それも道理だったのでしょう。
でも私は彼の態度に何度も傷つき、心がヒヤリとして心臓がパクパクした。

試行錯誤の末、私は傷つかず楽な気持ちになれるような身の処し方、考え方を身に付けつつあります。
夫とは必要なこと以外は話をしないようにしています。
会話が成り立たないからです。
無駄な努力はしないようになりました。
夫に自分の気持ちを分かってもらおうなどとも思わなくなりました。
期待してはガッカリの繰り返しだったことを忘れてはいけません。
私が気を回して良かれとすることは反対に迷惑だったりするので、最小限にとどめています。
また彼を他人からよく見られるようにすることもしなくなりました。
どう思われようとも、それが彼自身であるし、私がカバーしたところで誰にも感謝されないことに気づいたからです。
それどころか夫が人からよく思われて欲しかったのは、よく考えれば私自身のためだったのではないかと反省しています。
彼は彼自身を生き、私は私自身を生きればよい、それだけのこと、と考えられるようになりました。
もう残りが長くはない人生、自分を楽しませるために使わなければ後悔すると思っているのです。

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