2月26日の会
2月26日あじさい会
<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻
(女性だけの会です。お子様連れはお断りしています)
<日時>
2019年 2月26日 (火曜日)
9時45分〜12時 (9時35分開場)
始めにルールの説明をするので、遅れないようにお願いします。
<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 803
<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円
参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください。
アドレス記入される場合は、「非公開コメント」にチェックして下さい。
<お知らせ>
参加希望者数が定員に達しましたので、申し込みを終了致します。
ご希望あれば、キャンセル待ちをお受けします。
その際はメールアドレスをお知らせ願います。
2月26日の会を終えて
春を思わせるポカポカ陽気かと思うと、朝晩は冷え込んだりして、三寒四温を感じます。
そのせいか体調を崩されてのキャンセルが相次ぎ、初めての方3名と合わせて11名の参加者でした。
まだ結婚したばかりの方、小さな子供さんがおられる方、思春期の子供さんがおられる方、または子どもが巣立った世代。
それぞれの参加者が、今後の自分や過去の自分に焦点を合わせることができた会になりました。
私はもう結婚生活が35年になろうとしています。長い...
自分の人生の半分以上を夫と過ごしているのです。
若い人たちの悩んでいる言葉を聞いていると、自分の子育て時代を思い出します。
今悩んでおられる方と同じで、とても孤独でした。
専業主婦だったとはいえ、家事・育児・親戚付き合いに疲弊していました。
夫は真面目でもの静かだったけれど、私の悩みに付き合うというはなかった。
話を聞いてくれないし、意見というものもなかった。
私はいつも孤軍奮闘していました。
そしてそうしないと回って行かなかったのです。
参加者の若い方々の話を聞いていて、思い出したことがあります。
長女は赤ちゃんのときからアレルギーがあって、喘息をたびたび起こしていました。
夜中に病院に連れて行ったことも何度かあります。
それと同時にアトピー性皮膚炎にもかかっていました。
私の子育てのほとんどは、アレルギーとの闘いだったと言っても過言ではないくらい。
当時は厳しい食事制限もしていて、アレルギーの専門医を遠いところまで訪ねたり、また民間療法の良いとされるものをどれほど試したか分かりません。
あらゆる事を試し、本を読み知識を深め、そうしながら義母との同居もあったりして、本当に今思い出しても胸が苦しくなるくらいに、一人で何もかもこなしていました。
夫には娘のことを報告するように全てを話していましたが、いつも彼は何の意見も感想も言わず、糠に釘のような会話だった。
夫の口から娘のアレルギーの話題が出ることは一度もなく、どのように考えているのかもさっぱり分からなかった。
いつだったか実家の母に
「何を言っても黙っているばかりで、関心がないみたいで腹が立つ」
と愚痴ったことがあります。母は
「夫婦が一緒になって長女のことを心配ばかりして不安になっていたら、よくないでしょ。彼は充分に分かっているけれど、あえて平気な態度を装ってくれているのよ、あなたの為に」と私を諭しました。
私はちょっと違うような感じがしたけれど、そういうものなのか…と思ってしまいました。
「ちょっと違うという感覚」は妻である私にしか分からないものなのに、人の意見に流された自分を今更ながらに悔います。
長女が幼稚園に通い始めた時、私はとても心配でした。
アトピーがひどくて包帯を巻いている所もあり、友達ができるだろうかととても心配だったのです。
そのことを親しかった友人に打ち明けると、
「子どもは、友達を見た目で選ばないよ。自分の子どもの友達は手の指が無いのだけど、そんなことは互いに全く気付きもせず一緒に遊んでるよ」
と私を励ましてくれました。
私は今でもそう言ってくれた友達の優しさを思い出します。
長女は、アレルギーの対応で心配してピリピリしている母親をよそに、幼稚園での新しい経験を楽しみ、友達とも遊べるようになりました。
友達の家に遊びに行ったり来たり、お誕生日会に招かれたり。
夫には、一日の出来事を報告するように話していたので、私と同じ気持ちでいてくれていると思っていました。
(心配していたけれど、杞憂だったね)という気持ちです。
彼が返事も曖昧で聞いていないようであっても、家族のことは伝えておきたかった。
ある日、彼がふと思いついたように
「○○ちゃん、友達おれへんやろうな。」
と断定的に言いました。
私はびっくりして、頭が真っ白になったことを今でもハッキリ思い出します。
「なんてことを言うの!! お誕生日会にも呼んでもらっているし、いろいろな友達としょっちゅう行き来して遊んでる!」
すぐさま怒って夫に言い放ちました。
どうしてそんなひどい事を平気な顔で突拍子もなく言ったのか…
今では分かるような気がします。
彼にとっては妻でも子供でも、その人の内面というものが見えない。
外見だけ。表面的な事だけ。
私は、子供たちのもろもろの出来事やその成長を夫と語り合ったことがない。
彼らがどのような性格でどのようなことを考えているのか、どのような良い面を持っているのか、どんな優しい一面を持っているのか、どこをどう助けてあげればよいのか、等々。
本当は夫婦で子供たちのことを日常的に話し合いたかった。
でもそれは、叶わないことなのです。
彼は人の内面について語ることができないから。
結婚の際によく使われる言葉があります。
「結婚は、喜びが二倍に悲しみは半分に」
カサンドラになる人に共通しているのは
「結婚は、喜びは半分に悲しみが二倍に」
今回は、若い人が苦悩され流される涙に、自分の遠い辛い思い出が甦り、私も涙がこぼれました。
<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻
(女性だけの会です。お子様連れはお断りしています)
<日時>
2019年 2月26日 (火曜日)
9時45分〜12時 (9時35分開場)
始めにルールの説明をするので、遅れないようにお願いします。
<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 803
<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円
参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください。
アドレス記入される場合は、「非公開コメント」にチェックして下さい。
<お知らせ>
参加希望者数が定員に達しましたので、申し込みを終了致します。
ご希望あれば、キャンセル待ちをお受けします。
その際はメールアドレスをお知らせ願います。
2月26日の会を終えて
春を思わせるポカポカ陽気かと思うと、朝晩は冷え込んだりして、三寒四温を感じます。
そのせいか体調を崩されてのキャンセルが相次ぎ、初めての方3名と合わせて11名の参加者でした。
まだ結婚したばかりの方、小さな子供さんがおられる方、思春期の子供さんがおられる方、または子どもが巣立った世代。
それぞれの参加者が、今後の自分や過去の自分に焦点を合わせることができた会になりました。
私はもう結婚生活が35年になろうとしています。長い...
自分の人生の半分以上を夫と過ごしているのです。
若い人たちの悩んでいる言葉を聞いていると、自分の子育て時代を思い出します。
今悩んでおられる方と同じで、とても孤独でした。
専業主婦だったとはいえ、家事・育児・親戚付き合いに疲弊していました。
夫は真面目でもの静かだったけれど、私の悩みに付き合うというはなかった。
話を聞いてくれないし、意見というものもなかった。
私はいつも孤軍奮闘していました。
そしてそうしないと回って行かなかったのです。
参加者の若い方々の話を聞いていて、思い出したことがあります。
長女は赤ちゃんのときからアレルギーがあって、喘息をたびたび起こしていました。
夜中に病院に連れて行ったことも何度かあります。
それと同時にアトピー性皮膚炎にもかかっていました。
私の子育てのほとんどは、アレルギーとの闘いだったと言っても過言ではないくらい。
当時は厳しい食事制限もしていて、アレルギーの専門医を遠いところまで訪ねたり、また民間療法の良いとされるものをどれほど試したか分かりません。
あらゆる事を試し、本を読み知識を深め、そうしながら義母との同居もあったりして、本当に今思い出しても胸が苦しくなるくらいに、一人で何もかもこなしていました。
夫には娘のことを報告するように全てを話していましたが、いつも彼は何の意見も感想も言わず、糠に釘のような会話だった。
夫の口から娘のアレルギーの話題が出ることは一度もなく、どのように考えているのかもさっぱり分からなかった。
いつだったか実家の母に
「何を言っても黙っているばかりで、関心がないみたいで腹が立つ」
と愚痴ったことがあります。母は
「夫婦が一緒になって長女のことを心配ばかりして不安になっていたら、よくないでしょ。彼は充分に分かっているけれど、あえて平気な態度を装ってくれているのよ、あなたの為に」と私を諭しました。
私はちょっと違うような感じがしたけれど、そういうものなのか…と思ってしまいました。
「ちょっと違うという感覚」は妻である私にしか分からないものなのに、人の意見に流された自分を今更ながらに悔います。
長女が幼稚園に通い始めた時、私はとても心配でした。
アトピーがひどくて包帯を巻いている所もあり、友達ができるだろうかととても心配だったのです。
そのことを親しかった友人に打ち明けると、
「子どもは、友達を見た目で選ばないよ。自分の子どもの友達は手の指が無いのだけど、そんなことは互いに全く気付きもせず一緒に遊んでるよ」
と私を励ましてくれました。
私は今でもそう言ってくれた友達の優しさを思い出します。
長女は、アレルギーの対応で心配してピリピリしている母親をよそに、幼稚園での新しい経験を楽しみ、友達とも遊べるようになりました。
友達の家に遊びに行ったり来たり、お誕生日会に招かれたり。
夫には、一日の出来事を報告するように話していたので、私と同じ気持ちでいてくれていると思っていました。
(心配していたけれど、杞憂だったね)という気持ちです。
彼が返事も曖昧で聞いていないようであっても、家族のことは伝えておきたかった。
ある日、彼がふと思いついたように
「○○ちゃん、友達おれへんやろうな。」
と断定的に言いました。
私はびっくりして、頭が真っ白になったことを今でもハッキリ思い出します。
「なんてことを言うの!! お誕生日会にも呼んでもらっているし、いろいろな友達としょっちゅう行き来して遊んでる!」
すぐさま怒って夫に言い放ちました。
どうしてそんなひどい事を平気な顔で突拍子もなく言ったのか…
今では分かるような気がします。
彼にとっては妻でも子供でも、その人の内面というものが見えない。
外見だけ。表面的な事だけ。
私は、子供たちのもろもろの出来事やその成長を夫と語り合ったことがない。
彼らがどのような性格でどのようなことを考えているのか、どのような良い面を持っているのか、どんな優しい一面を持っているのか、どこをどう助けてあげればよいのか、等々。
本当は夫婦で子供たちのことを日常的に話し合いたかった。
でもそれは、叶わないことなのです。
彼は人の内面について語ることができないから。
結婚の際によく使われる言葉があります。
「結婚は、喜びが二倍に悲しみは半分に」
カサンドラになる人に共通しているのは
「結婚は、喜びは半分に悲しみが二倍に」
今回は、若い人が苦悩され流される涙に、自分の遠い辛い思い出が甦り、私も涙がこぼれました。
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