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7月25日

今日も雨です。
皆さん、お元気ですか?

私はときどき気が滅入り、憂鬱になって、何もする気になれないことがあります。
それは30℃を超える天候のせいであったりもします。
今日はひどい雨降りだけれど、気温が低いのでまだマシです。
梅雨が明けると本格的に暑くなり、身体がついていけるかどうか自信がなくなってしまいます。
学校は、夏休みが殆どない状況のようですね。
勉強する人達も学校の先生も、この暑さの中で勉強や仕事をしないといけないなんて、とても大変なことでしょう。

そして増え続ける感染者数。毎日最多を更新している…
そのことも先が見えず非常に辛い状況です。
むしろ暑さよりも、コロナ禍を憂えて、しんどい気持ちになってしまうのだろうと思っています。

緊急事態宣言が解除されるまでのステイホームでは、私は気持ちを前向きに持ち、今できることをしようと、家での楽しみ方を工夫してきました。
それは意外と新鮮で、家での暮らしを充実させることも悪くない、と新しい発見をしたようで嬉しかった。
家の掃除、整理、片付け、庭を整えて花を植え、時間のかかる料理に挑戦し、お菓子作りやジャム作りも新鮮で楽しかった。
新しいクッションをこしらえ、好みの布でトートバッグを縫い、挙句は自分の服まで作り始めて夢中になりました。
家族の誰かの為ではなくて、自分のために「居心地のいい生活」「丁寧な暮らし」を整えることは新鮮でした。
でも今では、元のいい加減な手抜き家事に戻っています…
長続きしませんでした…

緊急事態宣言が解除されて、再び社会は動き始めましたよね。
私が関わってきていた諸々のサークルや活動も、再び以前と同じように動き始めました。
でも私は自分の意志で参加するのを見合わせています。
仲間が元のように活動しているのを横目に見ながら、取り残されているようで、ときどき寂しくなります。
そのことにも焦りを感じ、自分だけが慎重派であるがゆえ、人との関わりがなくなり欝々とした気分になるのです。
家で夫と会話ができないから、外での関係を大切にして、たくさんの仲間と繋がりバランスを保ってきたというのに。
短期間なら人との関係を断つことはできても、いったいいつまで続くのだろうかと不安になります。

私の場合は、60代であること、殆どが不要不急の活動であることから、3密にならないという安全を確保できる場合に限って動くことに決めています。
人によって感染への捉え方や考え方が違っていて、優先順位も違っていたりするので、個々に課せられる自粛の度合いは様々だと思っています。
とくに若い人たち、現役の世代は、どうしても人との繋がりが必要でしょう。
でも中高年は、感染後のリスクも高いし、自分にとっての不要不急を今一度考えた方がよい、と葛藤を抱えながらも思っているのです。

夫は年金生活者になってから、町内会の役員を頼まれました。
あれよあれよという間に、いくつもの地域の役職に就いたようで、玄関には役職名の書かれた札が複数ぶら下がっています。
また地域のシニア倶楽部にも誘われるままに参加しているようです。

緊急事態宣言が解除されてから、夫は忙しく地域の用事で出かけるようになりました。
種々の役員会はもとより、シニア倶楽部のグランドゴルフ、俳句、麻雀、卓球までしているようです。
婦人会のクラブの受付まで駆り出されています。
誘われたら断らない温和な性格だからでしょう。
球技というもの全てが不得手であるにも関わらず、そして麻雀などしたこともないのに、俳句に興味があるはずもないだろうに、休むことなく出かけています。
私が「大丈夫なん?」と尋ねると
「人の邪魔にならないように参加している」
と言いました。
これこそが彼の長年培ってきた処世術なのだと妙に感心しました。
そして、そうやって彼の老後の居場所を得られていることにも感心し驚嘆しています。
本当に良かったな、と心から思っているのです。

誘ってくれる人がいなかったら、絶対に自分から積極的には参加していないでしょう。
また誘う方にしても、役員もシニア倶楽部活動にも文句を言わず、意見も出さず、黙々と仕事をこなす温和な若い(60代)新参者は重宝されているに違いありません。
夫の定年後の生活が、こんな展開になるとは想像もできませんでした。

それにしても…と私は思うのです。
シニア倶楽部の人たちは、緊急事態宣言が解除になったとはいえ、お年を召しているのに活動を自粛する方向にはならなかったのかしら。
私がもし会員であれば、「今はまだちょっと時期が早い」と参加しなかったと思います。
そして「でもな、ちょっと皆さんと活動できないのは淋しい」などとくよくよ悩むに違いありません…
どんなに感染者が増えようが、不安や悩みを持たず、迷うことなく疑うことなく地域活動を忙しそうにこなしている夫を、また少し羨ましいと思ってしまいます。
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7月11日

1週間前から豪雨による被害の様子が報じられています。
「令和2年7月豪雨」と名付けられた大雨は、まだ続いています。
各地で相次ぐ川の氾濫、浸水、土砂崩れ、土石流...
ニュースで流れるその映像に、誰もが肝をつぶし暗澹たる思いにかられます。

被災地近くに娘一家が暮らしています。
何度か連絡をして無事でいることを確認していますが、いつ土砂崩れに遭うか、川の増水に巻きこまれるか分かりません。
私が娘一家を案じている時に、友人から電話やメールが届きました。
「娘さんは大丈夫?」と心配してくれました。
海外に暮らす外国人の友人さえも
「ひょっとして、娘さんが暮らしている所ではないの?」とメールが届きました。
彼女たちの優しさが、私の心を励ましてくれました。

そして、夫。
ずっとテレビを見ていて、この豪雨被害を知らないはずはないのに、娘の暮らす方面がたびたび報道されているにも関わらず、ひと言の心配の言葉も何もなく、淡々と日常をこなしています。
それは、たいへんな被害をもたらしている豪雨が継続中であることを全く知らないような不思議な感じです。
昨日は、嬉しそうに自分の些細な日常の自慢をウキウキ声で私に話しかけてきました。
私はよっぽど
「○○ちゃんの家の隣町では床上浸水だったそうよ。
近くの道路が土砂崩れで通行できなくなったらしい。
でも今のところ家は被害を受けておらず大丈夫だから心配しないでいいよ。
でも夜は、より安全な親戚の家に避難しているみたいだよ。」
と夫に伝えようかと思いましたが、何一つ気にかけていないのでやめました。
もし私がそう話したとしても
「ああ」と迷惑そうに短く応じるだけなのは、火を見るより明らかだからです。

人のことを心配しない(他人も肉親も同じレベルで)、というのは彼にとって短所でもあり長所でもあるとつくづく感じます。
夫の特性を知らない時だったら、きっと「娘のことを心配もせず、なんて非情な人なんだ!」と憤っていたと思います。
イライラして悶々と悩み、「何て冷たいのだろう」と悲しくなっていたかもしれません。
今の私は全然違います。
「なるほどなぁ」と余裕で思うのです。
夫と家族の出来事を共有する、ってことをサッパリ放棄しているからです。
夫は夫、私は私でそれぞれに対応し解決していけばよいのです。
その方が、夫は自分らしく生きられて幸せなのだと思うのです。

2020年7月2日

いつのまにか7月。
今年はコロナに気を取られていて、寒かったのか暖かかったのか気づかぬままいつのまにか冬が終わり、春も過ぎ去り、これからまた猛暑の厳しい夏に向かっていかなくてはなりません。
7月になった昨日、庭でセミが鳴き始めました。
テレビの音もかき消す鳴き声に、夏の到来を感じました。
自粛生活の春に、少しでも明るい気持ちになりたくて蒔いたヒマワリの花も咲き始めました。思い切って5袋分の種を蒔いたので、きっと真夏には小さなひまわり畑のようになるでしょう。
身近な楽しみを増やすようにしています。

コロナ禍の自粛生活が始まったころ、さまざまな生活の注意点があげられていましたよね。
その中で家庭内での食事の仕方について、細かく提案しているのを目にしました。
家庭内感染を抑えるために、家族の食事は別々にする方が好ましい。食べる時間をずらしましょう。
テーブルで一緒に食べるときは、対角線上に座り、お喋りをしない。
大皿にしない。おかずは個々に分ける。
そのことについて、「家族の食卓は大事なコミュニ―ケーションの場であるので、とても残念ですが、今は我慢しましょう」という色調で伝えられていました。

対角線上に座る、というのは数年前の私がしていたことです。
大皿でそれぞれ好きなだけ料理をとる、鍋料理で鍋をつつく、なども夫と2人暮らしになってからしていません。
お喋りを我慢するどころか、話しかけても会話が成り立たず、あるいは戻ってきた返事が私を傷つけるような言葉だったりするので、仕方なく黙って食べるだけでした。
自分の作った料理なのに、味わうというより早く済ませてしまおうと、流し込むような食事だった。
それでも一緒に食事することが家族だと思い込み、我慢していました。

二人だけの食事がとにかく辛くて苦痛だった。
それで回数を減らすように考えて、なるべく時間をずらすようにしました。
お腹が空いたので、用事があるので、と理由をつけて先に食事を済ませたり、後にしたりと自然な雰囲気でずらすようにしていたのです。
夫にとって食事の時間は、腹を満たすもの、テレビを見ながら食べるもの、になっているので、私がいようがいまいが関係ないというのに、私だけが「食卓を共にする意味」という固定観念から抜け出せず苦しんでいました。

ある時から、私は先に食べたのでという理由をつけて、夫が夕食をリビングでとるときには、ちょっと忙しそうに台所の片付けをしたりしていました。
それでもずいぶん気持ちがラクになっていましたが、先に食事をするにしても、自分の食べたい時間ではないこともあり、あとで夫の食事の用意もあり、ゆっくりできなくて落ちつかず、自分で作ったものなのに味わう気持ちにもなれなかった。

このコロナ自粛生活のときに、どういうわけか夫は夕食を自分の部屋に持っていて食べるようになりました。
彼にとっても居心地のよい自室で気兼ねなくテレビを見ながら食べる方が、ずっとよかったのでしょう。
そのことが、私をさまざまな自分への縛りから解放してくれました!
同じ時間であっても別々に食事する、ってことが当たり前になって、私ものびのびと自分の好きな時間に、自分の部屋でゆっくりと、自分の作った料理を味わえるようになったのです。
食事を別にすることは今までと同じであっても、今までは何かしら自分に罪悪感があったことを知ります。
食卓を共にすることが家族の絆を強める、という一般的な思い込みから抜け出せ、私は少し自由になった気がしました。
ちなみに、朝食と昼食はそれぞれ各自が作って食べることにしています。
夕食だけは私が作り、別々に食べることにしています。

先日ある新聞記事で、「病気になって考えたのは、自分にとって一番大切なのは、家族と美味しい食事やお酒を共にして語り合うことだった。それに気づいた」とありました。
またこんな記事も読みました。「長年連れ添った夫を亡くしてから、さりげない季節折々の変化を共に感動して語り合うことができなくて涙がこぼれる。返事がないことが寂しい」というのもありました。
それが無かった人生を送ってきた自分を少し残念に思うときもあります。

夫とはそういう関係を結ぶことはできなかったけど、他で補うことができます。
先日3か月ぶりに仲良しの友達と会いました。
コロナ禍の話は尽きず、打てば響くような会話をポンポンやり取りして、互いにまだまだ話し足りない気持ちで別れました。
気の合う友達は最も大切です。
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