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8月26日

皆さん、お元気ですか?
私は今のところ元気にしています。
でもこの猛暑で気持ちまでグッタリします。
今週は平年の暑さに戻るという予報だったので期待していたのに、あと少しの辛抱と自分に言い聞かせていたのに、今週の大阪は相変わらずの体温を超える酷暑です。
熱中症が身近に迫っている気がします。
それでも早朝5時の散歩時は、生暖かい風ではなくほんの少しの涼しさを感じるようになってきました。

私はずっと不眠症です。
朝早く目が覚める。朝というより夜中に目が覚めて眠れなくなることがよくあります。
だから早朝散歩は、明るくなるのをひたすら待って出かけるので、苦になりません。
最近になって初めて気が付いたことがあります。

明けの明星。
夜明けに煌々と照らす金星は、朝の活力をもらえる気がして、一日の始まりを感じます。
お盆のころは、三日月と金星が仲良く並んでいて、本当に美しかった。
今まで早く起きていても、寝床でゴロゴロしているだけで、窓の外を眺めることなど思い付きもしませんでした。
永久に変わることなく輝いている星に感動している自分に、驚いています。

夫と気持ちが通じ合えない、話ができない、感情を共有できないという関係でのカサンドラ症候群の一番の辛さは、孤独を常に抱え込むことです。
それをいかに上手に自分で克服していくかで、夫との暮らしを回していけると私は考えてきました。
そうせざるを得ない、そうしないと生きていけない、狂ってしまいそうになるからです。
人との関わりを多く持って、自分を理解してくれる友人や知人をたくさん持つこと。
そのために、自分の好きなことや仕事を邁進していけば、家庭での孤独感は薄まると信じて、ずっと生きてきたように思います。
実際、それは上手くいっていた。

ところがコロナ禍のもとでは、人との断絶を強要されて、世間は「家族の繋がり」に収束していて、重苦しいものがあります。
夫婦単位や家族単位ならOKということが、私には重くのしかかってくる。
私に家族はいない。
自立している子供たちはとても遠くに暮らしているので、滅多に会うことはない。
家族が集うことなどない。
「家族で、家族で、」と安全パイのように繰り返すメディアに、とても違和感を覚えてしまい、それのない自分を突きつけられるような気がするのです。
このコロナ禍ではいっそう、夫と普通の会話ができない苦しさを感じてしまいます。

でも…夫は、コロナ禍を物ともせず元気です。
町内会の役員会や老人会催しに誘われて、毎日とても忙しそうです。
ジリジリ照り付ける太陽と体温を超える気温なのに、グランドゴルフにも絶対に休まないで行きます。
この危険な酷暑で、しかも高齢者の集まりだから、夏は休みにしてもいいのに、とおせっかいな老婆心でつい考えがち…
最近になって始めた麻雀にも定期的に休まず通っています。
「麻雀なんて、ソーシャルディスタンス守れないやん、大丈夫なん?」
と私が尋ねると
「マスクしてるから、大丈夫」
と涼しい顔で応えました。
全く何の不安も疑問も持たないのが、私は羨ましい…

私は感染が怖くて、この半年のあいだ堅い殻に籠っていました。
でも最近になって、専門家の意見も種々多々あり異なるので、感染対策は自分でよく考えて、行動していこうと思うようになってきました。
気持ちが鬱になる方がよくないと思えてきたのです。
自分を規制することに終始していると、精神が持たないと思うようになってきました。
人との接触はしないまでも、家の外へ出かけようと思っています。
もう少し涼しくなったら、一人で自転車乗って遠くへ出かけたり、一人で美術館を訪ねたり、一人で精進料理を食べに行ったりしてみたいと思っています。

そうした気持ちも時には萎えそうになるのですが、明けの明星を見上げるたび、よし今日も頑張ろう、と自分に言い聞かせるのです。

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8月14日

いつのまにか8月も半ばを過ぎようとしています。
気になりつつ、なかなかブログ更新ができませんでした。

今は猛暑。
毎年、大阪の夏はとりわけ暑い、暑すぎると思っていましたが、今年は全国的に酷暑となっています。
ただでさえコロナ禍で出かける機会もなくなっているのに、この猛暑では家に居るしかなく、精神的にも肉体的にも不健康な毎日を送りがちです。

先週から、朝5時に起きた時は散歩に出かけることにしてみました。
日の出前とはいえ涼しくもないのですが、それでもまだ心地よくウォーキングできます。
6時までに戻らないと、ギラギラした太陽に照り付けられるので時間を気にしつつ歩いています。
早朝でもたくさんの人がジョギングや、ウォーキングで汗を流していました。
私も運動不足を少しでも解消したいと思っています。
家に居るばかりだと、刺激がなくて、そして暗いニュースばかりで気が滅入ります。

今年は戦後75年という節目の年でもあるのか、ニュースでも戦争についての特集が目につきます。
とくに90代の戦争を体験された方々が、つい最近になってようやく重い口を開き証言されていることに、私は衝撃を受けました。
「思い出し語ることは辛く苦しいが、このまま伝えずに死ぬことができない、もう時間がない、次の世代の人達に伝えなくてはいけない。」
という方々の強い意思を私も真摯に受け止めなくてはならないと感じました。
毎年この時期に目にしていた原爆体験や戦争の悲惨さのニュースであったはずなのに、その度に理解していたはずなのに、なぜか今年はひときわ自分に引き寄せて考えられる気がしています。
いつか長崎や広島に行ったり、戦争資料館などを訪れてみたいと思いました。

私はコロナ禍での自分ルールを決めていて、人に会う場合は1人としています。
だから人と会う機会がほとんどなくなっています。
わずかな仕事もあったのですが、今年いっぱいは全て中止となりました。
共通の趣味や楽しみで結ばれていた仲間やグループもたくさんあったのですが、そのどれもに参加できなくなりました。
それで、ときどき憂鬱になることもあります。
せめて夫と他愛ないお喋りができれば気晴らしもできるのですが、それは無理だし…
仕方ないから、この静かな有り余る時間を自分の変身に充てようと試みています。

自分の内面を磨くべくお勉強、ということも考えられますが、それは努力を要して少し難しいので、外見から変えてみようと思い付きました。
それは緊急事態宣言からのことですが、先ずはグレイヘアに挑戦することにしました。
私のカラー歴は20年。
だんだん白髪が多くなってきて、染める回数が多くなっても、辞める勇気はありませんでした。
いつも外出予定を考えては、カラーしてきましたが、とても面倒で大きな悩みだった。
自分に嘘がある、ということも苦しかった。
もし病気で入院になったら髪の毛はどうなるのだろう、ばれてしまう、という怖さもあった。
それでステイホームで誰にも会わないこの機会を逃しては、グレイヘアに移行できない、と決断しました!
しかも自分でベリーショートに切ってしまい、一気にグレイヘアに挑戦しました!

「傍目にはプラス10歳に見えるよ」と美容師さんに言われましたが、その軽やかさは筆舌に尽くしがたいくらい快適です。
白髪が思った以上に多いので見た目は老けて見えるかもしれませんが、何より心が解放されて、生き生きと明るい気持ちになりました。
今はベリーショートグレイヘアに負けないようなお顔になるべくマッサージをしてみたり、グレイヘアに似合う明るい色合いの服を考えたりするようになりました。
また老けて見えないように、姿勢に気を配り、健康的な食事を心がけて、新陳代謝できる身体づくりを考えることも楽しいです。
何より「自分に嘘がなくなった」ことが心理的に大きく作用している気がします。

あじさい会が再開されたら、以前の私を知る方は、きっとビックリされるでしょう。
外見がかなり変わったから。
友人達にも写真を送っては、ビックリされています。
そして「よく思い切ったねー!!」と大笑いされています。
友人達からの返信には「ご主人の感想は?ビックリしているでしょ!」と書かれています。

夫は何の反応もなく、何の言葉も全くありません。
これこそが彼の特性だと思っているので、私は別に驚きはしないけれど、他の人は俄かには信じられないだろうなと思うのです。
もし私が友人に「夫は何の感想も言わないよ」と伝えれば
「いや、ご主人はビックリし過ぎて、言葉が出ないだけだよ」とか
「似合わない、なんて言おうものなら怒られるから黙っているのよ!」
などと笑って言うことでしょう。

家庭内別居状態とはいえ、毎日顔を合わすし、必要な事は話をします。
夫がいつもと変わらず何事も起こっていないかのように振る舞っているのは、ひょっとしたら私の新しい髪が見えていないのかもしれないな、と考えたりします。
発達障がいの人は、細い筒を通してモノを見ているような状態、と何かの本で読んだことがあるからです。
いや見えていても、何の関心もないからなのかと考えたり…
私も夫に「どう?!この髪型とグレイヘア!」なんて絶対に話しかけたりしません。
もしそういう問いかけをしたら必ず「あぁ、うん」でお終いになるのが分かっているからです。

私は夫がアスペルガーだと知って、本当に良かったと思っている。
夫の言動でモヤモヤすることが無いからです。
こうしてくれたら、こう言ってくれたら、という期待が微塵もないので、悩むことがないのです。
夫には共感を求めないけれど、他の人とは共感し合いたい。
それが必要だから、早くこのコロナ禍が収束することを願ってやみません。
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