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9月12日

いつの間にか9月を迎えていました。
永久に続くかのような猛暑でしたが、朝はひんやりと過ごしやすくなってきました。
夜明け前の散歩もノースリーブでは少し肌寒いです。
と言っても太陽が昇ると暑くなるので、早々に家に戻ります。

コロナウィルスに加え、豪雨や強い台風に見舞われています。
熱波による山火事、バッタの大発生、世界中で起こっている地球温暖化がもたらす異常気象の数々…
そればかりか世界じゅうで起こる人々の争いや衝突も増え、嘆息ばかりで暗い気持ちになることがあります。
けれども少し視点を変えてみると、国の分け隔てなく問題を共有できることに、私はときどき不思議な感動をおぼえています。
このコロナ禍が地球規模で起こっていることで、世界じゅうの人が問題意識を共有できる。
地球温暖化による災害もひどいですが、どの国も被害を受けて、地球全体で共有できる問題となっていることに希望を感じることがあるのです。
遠い国での出来事も身近に感じ、世界じゅうで起こる様々な事柄に敏感に目を向けられるようになりました。
コロナや社会不安で気持ちが塞ぐからこそ、弱者や困難な人に寄り添える心持になれる気がするのです。
それは自助会の構造と同じかもしれませんね。

私は相変わらずのステイホームで、ほとんど誰とも言葉を交わさない生活を続けていますが、元気にしています
私のささやかな楽しみの一つに、新聞や雑誌に掲載される数独があります。
以前は分からなくなると、すぐに放り出していましたが、今では解けるまでじっくりと取り組みます。
集中して、ゆっくり考える時間が好きなのです。
とは言っても、数独の冊子を買うことはしません。
そんなものを買えば、一日じゅうキリがなく四六時中解いてしまいそうだからです。
たまに解くのが楽しいのです。
難しくてもけっして諦めたりせず、間違ったら何度でも初めからやり直します!
数独は、論理的に考え確実に当てはまる数字を選んでいくことですよね。

可能性のある数字をじっくり考えているとき、以前に夫が言った言葉をよく思い出します。
その当時は、数独に全く興味がなく効率的な解き方も知りませんでした。
夫は買ってきた数独冊子で楽しんでいました。
私も試しに挑戦してみたけれど、全然できなくて面白くなかったのです。
その時、夫が私にアドバイスしてくれました。
「分からなかったら、適当な数字を 『エイや!』 と入れたらいい」と言いました。
そんな解き方では、たまたま上手くいくことはあっても正当なやりかたではない、とその時でも思ったものです。

数独を解いている時、今でもその言葉を思い出します。
どうしてあんないい加減な解き方を得意そうに言ったのかしら〜と思い起こしていて、ハッと気づきました。
それはすなわち夫の生きる姿勢そのものだったのではないか、と思ったのです。
相手の状況や気持ちがよく分からないから、何と言ってよいか分からない。
だから 「エイや!」 と適当な言葉を並べてきたのではないかしら。
それがたまに偶然にも上手くいくときもあるし、相手に対しての心無い言葉だったり、拍子抜けするずれた発言だったり、失言だったりもする。
黙っているのもいけないと思い、適当な言葉を発してその場をやり過ごす、その言葉には深い意味はない、ということ。
そうすることで、人との関係を適当にこなしてきたのかと思いました…
夫は、その場限りの言葉を口にしてみる、とくに深い思いがあるわけでない、それが彼にとって「普通」だったのではないかしら。
そして彼は、他の人もおおむね自分と同じだと信じ込んでいます。
数独を解いていると、いつもそのことを思い出します。


先週、悲しい別れがありました。
私は亀さんを飼っていました。
いや私が好きで飼い始めたのではないです。
23年前に夫が子供にせがまれてスーパーで気軽に買ったものです。
その後、子供と私がお世話していました。
ずっと狭い容器の中で飼っていたのですが、コロナで家に居ることが多いので、春ごろから庭に放してみました。
亀さんは嬉しそうに庭を歩き回り、手足を伸ばして日向ぼっこしたり、草の中に隠れて寝たり、動き回っていました。
水場も作ってやると場所を覚えて、水浴びもしていました。
私はそれを眺めると、いつもとても幸せな気持ちになりました。

以前に庭での猫の糞尿に悩まされたので、塀や柵などで侵入してこないように完璧に囲っていました。
だから猫は入ってきたことがなく、襲われる心配はないと思っていました。
ところが、イタチにやられてしまいました…
イタチ(チョウセンイタチ)は小さくて頭さえ入れば、どこにでも侵入するそうです。
そして肉食で獰猛で、鶏や外で飼っているペットも被害に遭うとのことでした。
狙われたら、ひとたまりもありません。

食いちぎられた亀さんを見て、私は悲しいというより腰を抜かしそうでした。
夫に亀さんのことを伝えると 「庭に放しているからや」と私を責めて非難するように、吐いて捨てるように言いました。
私は「フン」と軽く鼻を鳴らして知らん顔しました。
夫ゆえの、さもありなんの言葉だと思いました。
23年も共に生きた亀さんのあっと言う間の最期でしたが、私は夫の言葉に感情を殺してしまい意外にも淡々としていました。

午後になってから、遠くに暮らす3人の子供たちに事件のあらましをラインしました。
子供たちはすぐに返事をくれたり電話をかけてくれたりして
「長い間お世話してくれてありがとう。可哀そうやったけど、庭で遊べて幸せやったと思うよ」
「ビックリしてショックだったことでしょう。本当に今まで育ててくれてありがとう」
「気を落とさないでね、亀さんも庭で過ごせてありがとうと思っているよ」
みんな優しい言葉をかけてくれました。
私はそれを読みながら、可愛かった亀さんとの暮らしを思い出し、しばらく嗚咽して泣きました。

首をさすってやると、私に甘えてされるがままにじっとしていた亀さん。
庭をノッソノッソと楽しそうに歩きまわっていた亀さん。
首を伸ばして空を見上げたまま、風を感じるかのようにずっと同じ姿勢でいた亀さん。
餌をねだって私を目で追っていた亀さん。
本当に可愛かった。
そして何より家の中で話しかけられる存在、心を寄せられる存在だった…
夫にはなんの思い出も感情もないのでしょう。
ずっと一緒だったのに。
私はそれについて腹を立ててはいけません。
仕方のないことだもの。

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