6月21日
今日は夏至です。
大阪の日の出は4時45分、日の入りは19時15分。
早朝に、スロージョギングしながら日の出を見ました。
雲が薄くたなびいている日の出の空の色が好きです。
今日は、申し分のない日の出を見ることができました。
時刻が早くても、平日でも、散歩やジョギングしている人たちがたくさんいます。
きっとその人たちも私と同じで、朝日を浴びるのが好きなのでしょう。
5月はナミアゲハ幼虫の飼育に夢中でした。
幼虫から蛹、そして羽化へと次々とまったく別の姿に変わっていく変態に感動し、どれほどの写真と動画を撮ったことでしょう。
その全てを観察して、最後には4匹の蝶となって、私の手から空へと飛んでいった時、喜びを感じながらも一抹の淋しさもありました。
ところが翌日に私は、新たな生き物を見つけました。
庭のヤマボウシの高い梢が風もないのに動いていて、何やらいる様子でした。
よくよく見ると、そこには鳥の巣がありました。
小さな子供のお椀くらいの形です。
陽あたりの悪い小さな庭に鳥の巣があったことなど、今まで一度もありません。
飛び上がらんばかりに嬉しくて興奮しました。
しかもそれは、春になって山に帰っているはずのメジロの巣だったのです。
彼らは毎年冬になると庭にやってくるので、私はミカンやリンゴを置いて餌場を作っていました。
冬の間じゅう、果物をつつき、春になるといつの間にかいなくなってしまいます。
私にとって、メジロは冬の風物詩のようになっていました。
それが、どうして、私の家で子育てしようと思ったのでしょうか。
いったん山に帰ったけれど、戻ってきたのかしら。
とにかく、その日から双眼鏡片手にずっと観察しています。
私が見つけた時は、巣を作り終えて、抱卵が始まった頃のようでした。
暑い日も雨の日もじっと巣に座っています。
そして時おりメジロ夫婦は交代しました。
いつ見ても、巣には置物のようにメジロがいて、メジロ好きの私はそれだけでも幸せでした。
そうするうちに、ついに先週雛が孵りました!
ある日、巣にいるメジロが、卵の欠けらのような白いものを口に咥えていたので、その日に孵ったことを知りました。
雛の成長は目ざましく、日に日に大きくなっていきます。
嘴がちらりと見えたと思ったら、今では真上に大きく口を開けて巣から飛び出さんばかりに頭を持ち上げて、餌をねだります。
親鳥2羽は代わるがわる、幼虫を口にくわえて飛んできては餌をやり、すぐさま次の餌を探しに飛び去ります。
雛たちは、食欲旺盛でピーピーと餌を求めて鳴いています。
親鳥メジロの懸命な子育てぶりには、驚くばかり。休むこともできない。
冬にのんびり庭にやってきていた時は、ミカンを丁寧に食べて可愛い声でチッチとさえずって、小さくて美しい姿カタチで優雅な鳥のイメージだったのに…
人間界はコロナで右往左往しているけれど、命をつなぐ自然の営みは変わることなく続いていることに、あらためて励まされ感動しています。
来週には、雛たちの巣立ちも始まるでしょう。
それをしっかり見届けて、また次に向けて頑張りたいと思っています。
ちなみに、夫には庭のメジロの巣のことは伝えていません。
彼に報告しても、気のなさそうに「ふ〜ん」と言うだけだと分かるからです。
私がどんなに嬉しくて幸せな気持ちかって話したとしても、相づち打たず頷いたりもせず、うるさそうにするだけなのが目に浮かぶ。
一緒になって、メジロの話で盛り上がることなど絶対にないからです。
関心ないし、私の高揚した気持ちに寄り添ったり理解することなど絶対ないのに、誰か他の人には
「庭にメジロの巣があって子育てしているんですよ」とさも関心あるように、話題提供のように、話すことがあるからです。
私はそれがすごく嫌だった。
夫にとって人の話は、情報収集であって、事実だけを取り込むのです。
だから相づちうったり、そりゃ良かったね、などと相手の気持ちに同意する必要はないのです。
情報をインプットし、使えそうな場面でアウトプットする。
一方的に伝達するだけ。
彼にとっては、それが「普通の会話」なのです。
私の「普通の会話」とはひどく異なっています。
夫への違和感は、夫婦で感情を共有していないのに、いかにも共有しているかのように人に話すことでした。
私が喋った内容をあたかも自分が経験し感じたかのように、また夫婦で感情を共有しているかのように、他の人に話すことがよくありました。
二人でいるときは、無関心で無表情なのに…
その違和感は言葉で表現しにくく、説明しにくいので、私だけがこだわり過ぎていびつで意地悪でおかしいかのようになってしまうのです。
不快な気分にならないために、自分が楽しんでいることや嬉しいこと、悲しいことや悔しいことなど、今ではいっさい夫には話しません。
話すことは最低限に必要なことだけ。
そうすることで平和な状態を保てています。
今日から大阪では緊急事態宣言が解除されました。
でも大阪のワクチンは行き渡っていません。遅い。
デルタ株もじわじわと広がるような気がします。
そしてオリンピック。
未曾有の事態にならないように祈るばかりです。
大阪の日の出は4時45分、日の入りは19時15分。
早朝に、スロージョギングしながら日の出を見ました。
雲が薄くたなびいている日の出の空の色が好きです。
今日は、申し分のない日の出を見ることができました。
時刻が早くても、平日でも、散歩やジョギングしている人たちがたくさんいます。
きっとその人たちも私と同じで、朝日を浴びるのが好きなのでしょう。
5月はナミアゲハ幼虫の飼育に夢中でした。
幼虫から蛹、そして羽化へと次々とまったく別の姿に変わっていく変態に感動し、どれほどの写真と動画を撮ったことでしょう。
その全てを観察して、最後には4匹の蝶となって、私の手から空へと飛んでいった時、喜びを感じながらも一抹の淋しさもありました。
ところが翌日に私は、新たな生き物を見つけました。
庭のヤマボウシの高い梢が風もないのに動いていて、何やらいる様子でした。
よくよく見ると、そこには鳥の巣がありました。
小さな子供のお椀くらいの形です。
陽あたりの悪い小さな庭に鳥の巣があったことなど、今まで一度もありません。
飛び上がらんばかりに嬉しくて興奮しました。
しかもそれは、春になって山に帰っているはずのメジロの巣だったのです。
彼らは毎年冬になると庭にやってくるので、私はミカンやリンゴを置いて餌場を作っていました。
冬の間じゅう、果物をつつき、春になるといつの間にかいなくなってしまいます。
私にとって、メジロは冬の風物詩のようになっていました。
それが、どうして、私の家で子育てしようと思ったのでしょうか。
いったん山に帰ったけれど、戻ってきたのかしら。
とにかく、その日から双眼鏡片手にずっと観察しています。
私が見つけた時は、巣を作り終えて、抱卵が始まった頃のようでした。
暑い日も雨の日もじっと巣に座っています。
そして時おりメジロ夫婦は交代しました。
いつ見ても、巣には置物のようにメジロがいて、メジロ好きの私はそれだけでも幸せでした。
そうするうちに、ついに先週雛が孵りました!
ある日、巣にいるメジロが、卵の欠けらのような白いものを口に咥えていたので、その日に孵ったことを知りました。
雛の成長は目ざましく、日に日に大きくなっていきます。
嘴がちらりと見えたと思ったら、今では真上に大きく口を開けて巣から飛び出さんばかりに頭を持ち上げて、餌をねだります。
親鳥2羽は代わるがわる、幼虫を口にくわえて飛んできては餌をやり、すぐさま次の餌を探しに飛び去ります。
雛たちは、食欲旺盛でピーピーと餌を求めて鳴いています。
親鳥メジロの懸命な子育てぶりには、驚くばかり。休むこともできない。
冬にのんびり庭にやってきていた時は、ミカンを丁寧に食べて可愛い声でチッチとさえずって、小さくて美しい姿カタチで優雅な鳥のイメージだったのに…
人間界はコロナで右往左往しているけれど、命をつなぐ自然の営みは変わることなく続いていることに、あらためて励まされ感動しています。
来週には、雛たちの巣立ちも始まるでしょう。
それをしっかり見届けて、また次に向けて頑張りたいと思っています。
ちなみに、夫には庭のメジロの巣のことは伝えていません。
彼に報告しても、気のなさそうに「ふ〜ん」と言うだけだと分かるからです。
私がどんなに嬉しくて幸せな気持ちかって話したとしても、相づち打たず頷いたりもせず、うるさそうにするだけなのが目に浮かぶ。
一緒になって、メジロの話で盛り上がることなど絶対にないからです。
関心ないし、私の高揚した気持ちに寄り添ったり理解することなど絶対ないのに、誰か他の人には
「庭にメジロの巣があって子育てしているんですよ」とさも関心あるように、話題提供のように、話すことがあるからです。
私はそれがすごく嫌だった。
夫にとって人の話は、情報収集であって、事実だけを取り込むのです。
だから相づちうったり、そりゃ良かったね、などと相手の気持ちに同意する必要はないのです。
情報をインプットし、使えそうな場面でアウトプットする。
一方的に伝達するだけ。
彼にとっては、それが「普通の会話」なのです。
私の「普通の会話」とはひどく異なっています。
夫への違和感は、夫婦で感情を共有していないのに、いかにも共有しているかのように人に話すことでした。
私が喋った内容をあたかも自分が経験し感じたかのように、また夫婦で感情を共有しているかのように、他の人に話すことがよくありました。
二人でいるときは、無関心で無表情なのに…
その違和感は言葉で表現しにくく、説明しにくいので、私だけがこだわり過ぎていびつで意地悪でおかしいかのようになってしまうのです。
不快な気分にならないために、自分が楽しんでいることや嬉しいこと、悲しいことや悔しいことなど、今ではいっさい夫には話しません。
話すことは最低限に必要なことだけ。
そうすることで平和な状態を保てています。
今日から大阪では緊急事態宣言が解除されました。
でも大阪のワクチンは行き渡っていません。遅い。
デルタ株もじわじわと広がるような気がします。
そしてオリンピック。
未曾有の事態にならないように祈るばかりです。
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