3月11日の会
3月11日あじさい会
<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻
<日時>
2015年3月11日(水曜日)
10時〜12時
<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
会議室 801
<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円
参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください。
3月11日の会を終えて
本日は初参加の方3名を迎え、7名でお話をすることができました。
積もりに積もったことを僅かな時間で話すことは難しいです。
人の話しを聞いていると、「あぁ、私もそうだった。」と感じることがしばしばあります。そして気持ちがかつてに戻って揺り動かされるのです。これは一見、負の作用があるようにみえますが、自分の感情を整理する上で必要なことのように思っています。
セルフヘルプグループ(自助会)は、気持ちを分かり合える人たちとの中で素の自分を見つめ直す時間です。
何回か参加されると、自分の状況がつかめてきて気持ちも整理されていくようです。
参加2回目以上の方が増えることは主催者として嬉しいことです。
今日は東日本大震災から4年目の日でした。
夫と結婚してずっと違和感を抱えていたことがありました。
それは社会で起こる様々な出来事について、まったく夫婦で話しをしないということです。
夫は全く無口かというとそうではなくて、知識をひけらかすような一方的な話を延々とするタイプでした。
私は夫のことを高い学歴で博識で尊敬する人と思い込んでいたので、いつも拝聴していました。
しかしそれはいわば学校の先生の授業のようで、自分たちに直接かかわるような問題ではないことばかり。しかもどっちでもいいようなことばかりでした。以前なら頭にため込んでいる知識に感心もしたものですが、今では必要なことはすぐにネットで調べられるから拝聴することなどないのです。
もっと大事なことは、「そのことから自分はどう考えるか、どう感じるか、どのように行動していけばよいか」であるはずなのに、そういうことは抜けていました。
夫は、社会を揺るがす大事件、または大災害、大事故に対しては全くノーコメントでした。
オウム真理教の事件のとき、私は同世代の人たちの犯行にとても衝撃を受けました。しかし夫はまるで他人事でした。
阪神淡路大震災のときも、そうだった。規模の大きさやいかに建物を破壊したかについては話すものの、人の苦しみ悲しみに寄り添う意見は皆無でした。
東日本大震災のときも、どす黒い津波が町を覆い尽くしていく映像に誰もが胸がつぶれる思いをしているのに、夫は全く心を乱されることもなく淡々としていて、私たち夫婦がそのことで話しをするということはなかったのです。
子供が巻き込まれる悲惨な事件についても一切のノーコメント。
「言っても仕方ない」とか「真実がわからない事件にあれこれ意見したくない」などと言って私との会話をストップさせていました。
私は何も高尚な意見がほしいわけではないのです。
ただ「怖い事件だよね」とか「一瞬のうちに築いたものが失われる自然災害は恐ろしいね」とか「被災された方のことを思うと胸が痛いね、」とか「私たちにできることないかしら」などとおしゃべりしたかったです…
こうして思い返してみると、夫は何の感情も起きなかっただけなのでしょう。
意見を求められても、感想を求められたとしても、感じていないことをどのように応えればよいか分かりませんものね。
アスペルガーの特性を加味して考えれば、夫の気持ちに偽りはなく冷たさもなく正直なだけです。
そうしたことに長い年月気づかずに、私は違和感だけをため込んで悩み続けてしまいました。
でも今では原因が分かったので、悩まされることもありません。
結局、話しかけないということで落ち着いてしまうのです。
お話しは友人とすることにしています。
本日ご参加くださった皆様へ
本日のランチにご一緒できなくて申し訳ありませんでした。
昨夜から熱が出ていて体調を崩しており、回復せずに出かけてしまいました。
会のときはマスクをして離れて座っていても、ランチのときにはマスクもはずすし風邪をうつしてはいけないと考え思い切って失礼しました。
会のあとのランチは皆さんと打ち解けておしゃべりできる楽しみの一つでもありますし、主催者としても最後まで見届ける責任があると考えているのに、今回はできませんでした。
「ランチは問題なく終了しました。」と伝えてくださった方、ご報告ありがとうございます。
少し心配していたのでホッとしました。ありがとうございました。
<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻
<日時>
2015年3月11日(水曜日)
10時〜12時
<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
会議室 801
<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円
参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください。
3月11日の会を終えて
本日は初参加の方3名を迎え、7名でお話をすることができました。
積もりに積もったことを僅かな時間で話すことは難しいです。
人の話しを聞いていると、「あぁ、私もそうだった。」と感じることがしばしばあります。そして気持ちがかつてに戻って揺り動かされるのです。これは一見、負の作用があるようにみえますが、自分の感情を整理する上で必要なことのように思っています。
セルフヘルプグループ(自助会)は、気持ちを分かり合える人たちとの中で素の自分を見つめ直す時間です。
何回か参加されると、自分の状況がつかめてきて気持ちも整理されていくようです。
参加2回目以上の方が増えることは主催者として嬉しいことです。
今日は東日本大震災から4年目の日でした。
夫と結婚してずっと違和感を抱えていたことがありました。
それは社会で起こる様々な出来事について、まったく夫婦で話しをしないということです。
夫は全く無口かというとそうではなくて、知識をひけらかすような一方的な話を延々とするタイプでした。
私は夫のことを高い学歴で博識で尊敬する人と思い込んでいたので、いつも拝聴していました。
しかしそれはいわば学校の先生の授業のようで、自分たちに直接かかわるような問題ではないことばかり。しかもどっちでもいいようなことばかりでした。以前なら頭にため込んでいる知識に感心もしたものですが、今では必要なことはすぐにネットで調べられるから拝聴することなどないのです。
もっと大事なことは、「そのことから自分はどう考えるか、どう感じるか、どのように行動していけばよいか」であるはずなのに、そういうことは抜けていました。
夫は、社会を揺るがす大事件、または大災害、大事故に対しては全くノーコメントでした。
オウム真理教の事件のとき、私は同世代の人たちの犯行にとても衝撃を受けました。しかし夫はまるで他人事でした。
阪神淡路大震災のときも、そうだった。規模の大きさやいかに建物を破壊したかについては話すものの、人の苦しみ悲しみに寄り添う意見は皆無でした。
東日本大震災のときも、どす黒い津波が町を覆い尽くしていく映像に誰もが胸がつぶれる思いをしているのに、夫は全く心を乱されることもなく淡々としていて、私たち夫婦がそのことで話しをするということはなかったのです。
子供が巻き込まれる悲惨な事件についても一切のノーコメント。
「言っても仕方ない」とか「真実がわからない事件にあれこれ意見したくない」などと言って私との会話をストップさせていました。
私は何も高尚な意見がほしいわけではないのです。
ただ「怖い事件だよね」とか「一瞬のうちに築いたものが失われる自然災害は恐ろしいね」とか「被災された方のことを思うと胸が痛いね、」とか「私たちにできることないかしら」などとおしゃべりしたかったです…
こうして思い返してみると、夫は何の感情も起きなかっただけなのでしょう。
意見を求められても、感想を求められたとしても、感じていないことをどのように応えればよいか分かりませんものね。
アスペルガーの特性を加味して考えれば、夫の気持ちに偽りはなく冷たさもなく正直なだけです。
そうしたことに長い年月気づかずに、私は違和感だけをため込んで悩み続けてしまいました。
でも今では原因が分かったので、悩まされることもありません。
結局、話しかけないということで落ち着いてしまうのです。
お話しは友人とすることにしています。
本日ご参加くださった皆様へ
本日のランチにご一緒できなくて申し訳ありませんでした。
昨夜から熱が出ていて体調を崩しており、回復せずに出かけてしまいました。
会のときはマスクをして離れて座っていても、ランチのときにはマスクもはずすし風邪をうつしてはいけないと考え思い切って失礼しました。
会のあとのランチは皆さんと打ち解けておしゃべりできる楽しみの一つでもありますし、主催者としても最後まで見届ける責任があると考えているのに、今回はできませんでした。
「ランチは問題なく終了しました。」と伝えてくださった方、ご報告ありがとうございます。
少し心配していたのでホッとしました。ありがとうございました。
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