2020年7月2日
いつのまにか7月。
今年はコロナに気を取られていて、寒かったのか暖かかったのか気づかぬままいつのまにか冬が終わり、春も過ぎ去り、これからまた猛暑の厳しい夏に向かっていかなくてはなりません。
7月になった昨日、庭でセミが鳴き始めました。
テレビの音もかき消す鳴き声に、夏の到来を感じました。
自粛生活の春に、少しでも明るい気持ちになりたくて蒔いたヒマワリの花も咲き始めました。思い切って5袋分の種を蒔いたので、きっと真夏には小さなひまわり畑のようになるでしょう。
身近な楽しみを増やすようにしています。
コロナ禍の自粛生活が始まったころ、さまざまな生活の注意点があげられていましたよね。
その中で家庭内での食事の仕方について、細かく提案しているのを目にしました。
家庭内感染を抑えるために、家族の食事は別々にする方が好ましい。食べる時間をずらしましょう。
テーブルで一緒に食べるときは、対角線上に座り、お喋りをしない。
大皿にしない。おかずは個々に分ける。
そのことについて、「家族の食卓は大事なコミュニ―ケーションの場であるので、とても残念ですが、今は我慢しましょう」という色調で伝えられていました。
対角線上に座る、というのは数年前の私がしていたことです。
大皿でそれぞれ好きなだけ料理をとる、鍋料理で鍋をつつく、なども夫と2人暮らしになってからしていません。
お喋りを我慢するどころか、話しかけても会話が成り立たず、あるいは戻ってきた返事が私を傷つけるような言葉だったりするので、仕方なく黙って食べるだけでした。
自分の作った料理なのに、味わうというより早く済ませてしまおうと、流し込むような食事だった。
それでも一緒に食事することが家族だと思い込み、我慢していました。
二人だけの食事がとにかく辛くて苦痛だった。
それで回数を減らすように考えて、なるべく時間をずらすようにしました。
お腹が空いたので、用事があるので、と理由をつけて先に食事を済ませたり、後にしたりと自然な雰囲気でずらすようにしていたのです。
夫にとって食事の時間は、腹を満たすもの、テレビを見ながら食べるもの、になっているので、私がいようがいまいが関係ないというのに、私だけが「食卓を共にする意味」という固定観念から抜け出せず苦しんでいました。
ある時から、私は先に食べたのでという理由をつけて、夫が夕食をリビングでとるときには、ちょっと忙しそうに台所の片付けをしたりしていました。
それでもずいぶん気持ちがラクになっていましたが、先に食事をするにしても、自分の食べたい時間ではないこともあり、あとで夫の食事の用意もあり、ゆっくりできなくて落ちつかず、自分で作ったものなのに味わう気持ちにもなれなかった。
このコロナ自粛生活のときに、どういうわけか夫は夕食を自分の部屋に持っていて食べるようになりました。
彼にとっても居心地のよい自室で気兼ねなくテレビを見ながら食べる方が、ずっとよかったのでしょう。
そのことが、私をさまざまな自分への縛りから解放してくれました!
同じ時間であっても別々に食事する、ってことが当たり前になって、私ものびのびと自分の好きな時間に、自分の部屋でゆっくりと、自分の作った料理を味わえるようになったのです。
食事を別にすることは今までと同じであっても、今までは何かしら自分に罪悪感があったことを知ります。
食卓を共にすることが家族の絆を強める、という一般的な思い込みから抜け出せ、私は少し自由になった気がしました。
ちなみに、朝食と昼食はそれぞれ各自が作って食べることにしています。
夕食だけは私が作り、別々に食べることにしています。
先日ある新聞記事で、「病気になって考えたのは、自分にとって一番大切なのは、家族と美味しい食事やお酒を共にして語り合うことだった。それに気づいた」とありました。
またこんな記事も読みました。「長年連れ添った夫を亡くしてから、さりげない季節折々の変化を共に感動して語り合うことができなくて涙がこぼれる。返事がないことが寂しい」というのもありました。
それが無かった人生を送ってきた自分を少し残念に思うときもあります。
夫とはそういう関係を結ぶことはできなかったけど、他で補うことができます。
先日3か月ぶりに仲良しの友達と会いました。
コロナ禍の話は尽きず、打てば響くような会話をポンポンやり取りして、互いにまだまだ話し足りない気持ちで別れました。
気の合う友達は最も大切です。
今年はコロナに気を取られていて、寒かったのか暖かかったのか気づかぬままいつのまにか冬が終わり、春も過ぎ去り、これからまた猛暑の厳しい夏に向かっていかなくてはなりません。
7月になった昨日、庭でセミが鳴き始めました。
テレビの音もかき消す鳴き声に、夏の到来を感じました。
自粛生活の春に、少しでも明るい気持ちになりたくて蒔いたヒマワリの花も咲き始めました。思い切って5袋分の種を蒔いたので、きっと真夏には小さなひまわり畑のようになるでしょう。
身近な楽しみを増やすようにしています。
コロナ禍の自粛生活が始まったころ、さまざまな生活の注意点があげられていましたよね。
その中で家庭内での食事の仕方について、細かく提案しているのを目にしました。
家庭内感染を抑えるために、家族の食事は別々にする方が好ましい。食べる時間をずらしましょう。
テーブルで一緒に食べるときは、対角線上に座り、お喋りをしない。
大皿にしない。おかずは個々に分ける。
そのことについて、「家族の食卓は大事なコミュニ―ケーションの場であるので、とても残念ですが、今は我慢しましょう」という色調で伝えられていました。
対角線上に座る、というのは数年前の私がしていたことです。
大皿でそれぞれ好きなだけ料理をとる、鍋料理で鍋をつつく、なども夫と2人暮らしになってからしていません。
お喋りを我慢するどころか、話しかけても会話が成り立たず、あるいは戻ってきた返事が私を傷つけるような言葉だったりするので、仕方なく黙って食べるだけでした。
自分の作った料理なのに、味わうというより早く済ませてしまおうと、流し込むような食事だった。
それでも一緒に食事することが家族だと思い込み、我慢していました。
二人だけの食事がとにかく辛くて苦痛だった。
それで回数を減らすように考えて、なるべく時間をずらすようにしました。
お腹が空いたので、用事があるので、と理由をつけて先に食事を済ませたり、後にしたりと自然な雰囲気でずらすようにしていたのです。
夫にとって食事の時間は、腹を満たすもの、テレビを見ながら食べるもの、になっているので、私がいようがいまいが関係ないというのに、私だけが「食卓を共にする意味」という固定観念から抜け出せず苦しんでいました。
ある時から、私は先に食べたのでという理由をつけて、夫が夕食をリビングでとるときには、ちょっと忙しそうに台所の片付けをしたりしていました。
それでもずいぶん気持ちがラクになっていましたが、先に食事をするにしても、自分の食べたい時間ではないこともあり、あとで夫の食事の用意もあり、ゆっくりできなくて落ちつかず、自分で作ったものなのに味わう気持ちにもなれなかった。
このコロナ自粛生活のときに、どういうわけか夫は夕食を自分の部屋に持っていて食べるようになりました。
彼にとっても居心地のよい自室で気兼ねなくテレビを見ながら食べる方が、ずっとよかったのでしょう。
そのことが、私をさまざまな自分への縛りから解放してくれました!
同じ時間であっても別々に食事する、ってことが当たり前になって、私ものびのびと自分の好きな時間に、自分の部屋でゆっくりと、自分の作った料理を味わえるようになったのです。
食事を別にすることは今までと同じであっても、今までは何かしら自分に罪悪感があったことを知ります。
食卓を共にすることが家族の絆を強める、という一般的な思い込みから抜け出せ、私は少し自由になった気がしました。
ちなみに、朝食と昼食はそれぞれ各自が作って食べることにしています。
夕食だけは私が作り、別々に食べることにしています。
先日ある新聞記事で、「病気になって考えたのは、自分にとって一番大切なのは、家族と美味しい食事やお酒を共にして語り合うことだった。それに気づいた」とありました。
またこんな記事も読みました。「長年連れ添った夫を亡くしてから、さりげない季節折々の変化を共に感動して語り合うことができなくて涙がこぼれる。返事がないことが寂しい」というのもありました。
それが無かった人生を送ってきた自分を少し残念に思うときもあります。
夫とはそういう関係を結ぶことはできなかったけど、他で補うことができます。
先日3か月ぶりに仲良しの友達と会いました。
コロナ禍の話は尽きず、打てば響くような会話をポンポンやり取りして、互いにまだまだ話し足りない気持ちで別れました。
気の合う友達は最も大切です。
スポンサーサイト