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7月11日

1週間前から豪雨による被害の様子が報じられています。
「令和2年7月豪雨」と名付けられた大雨は、まだ続いています。
各地で相次ぐ川の氾濫、浸水、土砂崩れ、土石流...
ニュースで流れるその映像に、誰もが肝をつぶし暗澹たる思いにかられます。

被災地近くに娘一家が暮らしています。
何度か連絡をして無事でいることを確認していますが、いつ土砂崩れに遭うか、川の増水に巻きこまれるか分かりません。
私が娘一家を案じている時に、友人から電話やメールが届きました。
「娘さんは大丈夫?」と心配してくれました。
海外に暮らす外国人の友人さえも
「ひょっとして、娘さんが暮らしている所ではないの?」とメールが届きました。
彼女たちの優しさが、私の心を励ましてくれました。

そして、夫。
ずっとテレビを見ていて、この豪雨被害を知らないはずはないのに、娘の暮らす方面がたびたび報道されているにも関わらず、ひと言の心配の言葉も何もなく、淡々と日常をこなしています。
それは、たいへんな被害をもたらしている豪雨が継続中であることを全く知らないような不思議な感じです。
昨日は、嬉しそうに自分の些細な日常の自慢をウキウキ声で私に話しかけてきました。
私はよっぽど
「○○ちゃんの家の隣町では床上浸水だったそうよ。
近くの道路が土砂崩れで通行できなくなったらしい。
でも今のところ家は被害を受けておらず大丈夫だから心配しないでいいよ。
でも夜は、より安全な親戚の家に避難しているみたいだよ。」
と夫に伝えようかと思いましたが、何一つ気にかけていないのでやめました。
もし私がそう話したとしても
「ああ」と迷惑そうに短く応じるだけなのは、火を見るより明らかだからです。

人のことを心配しない(他人も肉親も同じレベルで)、というのは彼にとって短所でもあり長所でもあるとつくづく感じます。
夫の特性を知らない時だったら、きっと「娘のことを心配もせず、なんて非情な人なんだ!」と憤っていたと思います。
イライラして悶々と悩み、「何て冷たいのだろう」と悲しくなっていたかもしれません。
今の私は全然違います。
「なるほどなぁ」と余裕で思うのです。
夫と家族の出来事を共有する、ってことをサッパリ放棄しているからです。
夫は夫、私は私でそれぞれに対応し解決していけばよいのです。
その方が、夫は自分らしく生きられて幸せなのだと思うのです。
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