5月12日の会
5月12日あじさい会
<参加条件>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる女性
(申し訳ありませんが、お子様連れはお断りしています)
<日時>
・2022年 5月12日(木曜日)
・10時~11時45分 (9時50分開場)
はじめに自助会ルールの説明をするので、遅れないようにお願いします。
<場所>
・大阪市青少年センター ココプラザ
(大阪市東淀川区東中島1-13-13)
・会議室 803
<会費>
・600円
参加ご希望の方は、「コメント」からご連絡ください。
「名前」はハンドルネーム
「メールアドレス」は必ずご記入ください。
「公開設定」は、スマホでは≪管理人への秘密コメント≫を、PCからは≪非公開コメント≫をクリックしてください。
こちらからの返信を受け取られて、ようやく参加決定となります。
会を終えて
事前に5名の参加予約をいただいていましたが、キャンセルが相次ぎ2名の参加でした。
主宰者合わせて3名で、座談会のようにゆっくりとお話することができました。
2名だけの参加は今回が初めてです。
うまくいくかしら、と若干の心配もありましたが、とどこおりなく、しかもたっぷりと時間をかけて悩んだ日々を話せた内容になりました。
何から話してよいか分からないほど自分のなかで煮詰まっていたり、見て見ぬふりをしてやり過ごしてしまったたくさんの過去の出来事が、まるで池の底にたまったヘドロからぷつりぷつりと泡になって、何もかもないまぜになった状態で浮かんでくるような感じがします。
とくにお姑さんとのやり取りで理不尽なことが多々あった、という話が出た時に私も過去のことを思い出しました。
義母は5人の子供をうまく使い分けていました。
愚痴を聞いてもらうときはこの子、買い物や使い走りさせるときはこの子、必要なものを買ってもらうときはこの子、などというように。
夫は反抗期が一度もなく従順で命じられたことは何でもするタイプなので、義母にとってはたいへん都合のよい存在だったと思います。
どこそこの観光地に行きたいと言えば車を運転し、庭の草抜きを頼まれれば黙々とこなし、義母の頼みを断ることなどなく自慢の孝行息子でした。
だからなのか結婚したころは、優しくて従順な息子を取られたかのように私への風当たりがきつかったです。
嫌味をチクチク言われたり、行動にうつされたり、とても感じが悪かった。
一番ひどかったのは、
「うちの優秀な息子に、あんたは相応しくない」と私に言い放ったことでした。
そんなひどい決定的な発言に私は憤慨し、でも言い返せないまま、涙を流して夫に訴えました。
夫はフムフムと聞きながら、
「年寄りの発言だから、気にすることない」とニヤニヤ嬉しそうに答えました。
どうして嬉しそうにしていたのか、その時はよく分からなかった。
夫が姑を叱り抗議してくれると思い込んでいたからです。
嬉しそうににやけているなんて、変だなと悲しく思いました。
でも今ではよく分かります。
母親が自分のことを高く評価してくれていて、それがただ単に嬉しかっただけです。
私がどんな気持ちでいるか、もし自分が言われたらどう感じるか、ということまで思い及ぶことができなかったのですね。
いつも私の味方ではなかった…
こういうことが長年に亘っていくつも積み重なり、次第に自尊感情がなくなりカサンドラ症候群に陥っていくのです。
今では発達障害の特性について多くの知識を得て、60代にして強くなりました。
もし今、義母が生きていて、そんな発言をしたら
「それは、こっちのセリフや!」と強く言い返すことができます。
実際のところ、その通りなのだもの…
それぞれの方の特性は違っていて一概には言えませんが、冷静になって夫を観察し、発達障害についてのできる限りの知識を集め、けっして自分が振り回されないように傷つかないようにすることが得策です。
病気になっても精神的にクタクタに疲れても、夫は守ってくれたり励ましてくれたり、ねぎらいや思いやり気遣いをしてくれる存在ではありません。
とても残念で辛い事実ですが、そのことを肝に銘じ、自分で自分を愛して自分を生きるしかありません。
<参加条件>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる女性
(申し訳ありませんが、お子様連れはお断りしています)
<日時>
・2022年 5月12日(木曜日)
・10時~11時45分 (9時50分開場)
はじめに自助会ルールの説明をするので、遅れないようにお願いします。
<場所>
・大阪市青少年センター ココプラザ
(大阪市東淀川区東中島1-13-13)
・会議室 803
<会費>
・600円
参加ご希望の方は、「コメント」からご連絡ください。
「名前」はハンドルネーム
「メールアドレス」は必ずご記入ください。
「公開設定」は、スマホでは≪管理人への秘密コメント≫を、PCからは≪非公開コメント≫をクリックしてください。
こちらからの返信を受け取られて、ようやく参加決定となります。
会を終えて
事前に5名の参加予約をいただいていましたが、キャンセルが相次ぎ2名の参加でした。
主宰者合わせて3名で、座談会のようにゆっくりとお話することができました。
2名だけの参加は今回が初めてです。
うまくいくかしら、と若干の心配もありましたが、とどこおりなく、しかもたっぷりと時間をかけて悩んだ日々を話せた内容になりました。
何から話してよいか分からないほど自分のなかで煮詰まっていたり、見て見ぬふりをしてやり過ごしてしまったたくさんの過去の出来事が、まるで池の底にたまったヘドロからぷつりぷつりと泡になって、何もかもないまぜになった状態で浮かんでくるような感じがします。
とくにお姑さんとのやり取りで理不尽なことが多々あった、という話が出た時に私も過去のことを思い出しました。
義母は5人の子供をうまく使い分けていました。
愚痴を聞いてもらうときはこの子、買い物や使い走りさせるときはこの子、必要なものを買ってもらうときはこの子、などというように。
夫は反抗期が一度もなく従順で命じられたことは何でもするタイプなので、義母にとってはたいへん都合のよい存在だったと思います。
どこそこの観光地に行きたいと言えば車を運転し、庭の草抜きを頼まれれば黙々とこなし、義母の頼みを断ることなどなく自慢の孝行息子でした。
だからなのか結婚したころは、優しくて従順な息子を取られたかのように私への風当たりがきつかったです。
嫌味をチクチク言われたり、行動にうつされたり、とても感じが悪かった。
一番ひどかったのは、
「うちの優秀な息子に、あんたは相応しくない」と私に言い放ったことでした。
そんなひどい決定的な発言に私は憤慨し、でも言い返せないまま、涙を流して夫に訴えました。
夫はフムフムと聞きながら、
「年寄りの発言だから、気にすることない」とニヤニヤ嬉しそうに答えました。
どうして嬉しそうにしていたのか、その時はよく分からなかった。
夫が姑を叱り抗議してくれると思い込んでいたからです。
嬉しそうににやけているなんて、変だなと悲しく思いました。
でも今ではよく分かります。
母親が自分のことを高く評価してくれていて、それがただ単に嬉しかっただけです。
私がどんな気持ちでいるか、もし自分が言われたらどう感じるか、ということまで思い及ぶことができなかったのですね。
いつも私の味方ではなかった…
こういうことが長年に亘っていくつも積み重なり、次第に自尊感情がなくなりカサンドラ症候群に陥っていくのです。
今では発達障害の特性について多くの知識を得て、60代にして強くなりました。
もし今、義母が生きていて、そんな発言をしたら
「それは、こっちのセリフや!」と強く言い返すことができます。
実際のところ、その通りなのだもの…
それぞれの方の特性は違っていて一概には言えませんが、冷静になって夫を観察し、発達障害についてのできる限りの知識を集め、けっして自分が振り回されないように傷つかないようにすることが得策です。
病気になっても精神的にクタクタに疲れても、夫は守ってくれたり励ましてくれたり、ねぎらいや思いやり気遣いをしてくれる存在ではありません。
とても残念で辛い事実ですが、そのことを肝に銘じ、自分で自分を愛して自分を生きるしかありません。
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