10月13日の会
10月13日あじさい会
<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻
<日時>
2015年10月13日(火曜日)
10時〜12時
<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 803
<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円
参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください。
10月13日の会を終えて
キンモクセイの甘い香りが町じゅうを包む気持ちのよい一日に、会を催すことができました。
初参加の方が今回は5名いらして、9名でお話をしました。
あじさい会では、1回限りの参加という方が多いです。
それでも会の後半になれば、お互いによく知っているかのような錯覚を起こしてしまいます。
長年の友人のような感覚さえするのです。
会のあとのランチでまた延々としゃべり続けると、離れがたい気持ちになります。
言葉では表現しにくい夫との生活上の違和感が互いに瞬時に分かりあえるというのが、この会の特長です。
分かりあったところで自分を取り巻く状況が変化することはありませんが、一人ぼっちではないことを確認できます。
私は現在50代後半で、夫は6歳年上で定年退職しています。
夫婦二人だけの暮らしは、すでに8年になります。
二人暮らしになったとき、今後の長い老後に向けて夫婦の時間を大切に紡いでいきたいと願っていました。
二人で共有できるものがあれば、会話も弾むだろうと考えました。
その一つとして、二人でのお出かけをするように心がけました。
旅行もしょっちゅう計画しました。たくさんの街を訪ね観光し、美術館も見て歩きました。
けれどもそのうちに、私はとてもしんどくなってきたのです。
旅の感動を共有することが全くできなかったのです。
夫の楽しみ方と私の楽しみ方とは、共通するものがないことに気づきました。
私は旅で思いがけなく人の親切を受けたことを喜んだり、偶然に見つけた美しい景色に感動したりするのが好きだったのですが、夫はガイドブックに掲載されていて誰かが説明してくれているものでないと感動の言葉を口にしませんでした。
活字にされているものでないと、取るに足らぬものとしているようでした。
夫は美術や音楽や歴史についてもたくさんの知識があって、学校の先生が講義するように私に話してくれました。
私は夫のことを何にでも造詣が深くて賢い人だ、とずっと尊敬の念を抱いていたのです。
二人だけの時間が長くなって、二人で出かける時間が増えて、ようやく本当の夫の姿が見えてくるようになりました。
美術館に行って、彼が私に得々として説明する話は、美術書そのままのコピーです。
そこに夫の感性や感情はまったく入っていないことに、ようやく気づきました。
「この絵を見て、どう感じる?」「私はこの絵はあまり好きではないな。」など感想を話しあえれば楽しいだろうに、それがまるでなかった。
戦争での歴史的建造物を訪ねた時も、私は当時を想像して恐ろしさに言葉が出なかったことがありました。
重く苦しい気持ちになりました。
けれども彼は淡々として、年代や犠牲者の数を正確に口にするばかりで、ひと言も自分の受けた印象を話さなかった。
そのことにとても違和感を覚えたのです。
夫は知識を頭にためることが、教養だと思い込んでいるのだと思います。
知識を得た上でさらに自分の頭で考えることが大切なのに、自分の感性を磨いたり湧き上がる感情を表現することが大切なのに、その部分がすっぽり抜けているのです。
だから一方的な話を拝聴することはできるけれど、気持ちを分かち合うことができず違和感ばかりが残ります。
夫の感じ方と私とは違い過ぎていて、旅行で24時間ずっと一緒にいるのは苦痛であると気づいてから無理するのはやめようと思いました。
その後、旅行は無理でも夫婦の時間を大切にしたいと思い直し、週末にレストランで食事しようと提案しました。
夫は私の提案にはいつも乗ってくれます。けっして嫌だとは言いません。
旅の計画もレストラン選びも、夫からは動かないので私がするのですが、それでも断るということはありませんでした。
言われたことはきちんとこなすというアスペルガーの特徴ですよね。(当時は知りませんでしたが…)
雰囲気のよいレストランでゆっくり食事をしながら、離れて暮らす子供たちのことやお互いのことを話せればよいなと期待したのですが、会話は家での食卓同様まったく弾まなかった。
ぷつりぷつりと切れてしまう会話に、美味しい食事も辛く長い時間になって、いつしかやめてしまいました。
友人が週末は夫とウォーキングをしながら1週間の出来事を話すのが楽しみの一つ、と言っていたことを真似して、ウォーキングに何度か誘ったこともありました。
ところが、会話をするどころか歩くスピードが互いに全然違っていて、歩調も合わせられず、それも諦めました。
二人で何かすれば楽しいだろうと思い込んでいたのが、二人でいるほうが孤独で寂しいという現実を知ることになり、きっぱりと二人の時間をあれこれ演出するのはやめようと思ったのです。
夫としても私からの誘いは断れず、さらには私の気持ちに共感するように勝手に期待されたことは迷惑極まりなかっただろうと思っています。
夫にアスペルガーの特性があったと知る前に、私はなるべく距離を置くという結論に至りましたが、もっと早く知っていれば互いにギクシャクした関係に長年悩まされずに済んだのにという思いもあります。
彼にとっての妻は、家事を担当して子どもを産んで家族の形態を作ってくれる人という以外には何もないのだと思います。
私はそのことを胆に銘じ受けとめ、気持ちが揺れることなく自分だけを楽しませることをしていこうと思っているのです。
<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻
<日時>
2015年10月13日(火曜日)
10時〜12時
<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 803
<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円
参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください。
10月13日の会を終えて
キンモクセイの甘い香りが町じゅうを包む気持ちのよい一日に、会を催すことができました。
初参加の方が今回は5名いらして、9名でお話をしました。
あじさい会では、1回限りの参加という方が多いです。
それでも会の後半になれば、お互いによく知っているかのような錯覚を起こしてしまいます。
長年の友人のような感覚さえするのです。
会のあとのランチでまた延々としゃべり続けると、離れがたい気持ちになります。
言葉では表現しにくい夫との生活上の違和感が互いに瞬時に分かりあえるというのが、この会の特長です。
分かりあったところで自分を取り巻く状況が変化することはありませんが、一人ぼっちではないことを確認できます。
私は現在50代後半で、夫は6歳年上で定年退職しています。
夫婦二人だけの暮らしは、すでに8年になります。
二人暮らしになったとき、今後の長い老後に向けて夫婦の時間を大切に紡いでいきたいと願っていました。
二人で共有できるものがあれば、会話も弾むだろうと考えました。
その一つとして、二人でのお出かけをするように心がけました。
旅行もしょっちゅう計画しました。たくさんの街を訪ね観光し、美術館も見て歩きました。
けれどもそのうちに、私はとてもしんどくなってきたのです。
旅の感動を共有することが全くできなかったのです。
夫の楽しみ方と私の楽しみ方とは、共通するものがないことに気づきました。
私は旅で思いがけなく人の親切を受けたことを喜んだり、偶然に見つけた美しい景色に感動したりするのが好きだったのですが、夫はガイドブックに掲載されていて誰かが説明してくれているものでないと感動の言葉を口にしませんでした。
活字にされているものでないと、取るに足らぬものとしているようでした。
夫は美術や音楽や歴史についてもたくさんの知識があって、学校の先生が講義するように私に話してくれました。
私は夫のことを何にでも造詣が深くて賢い人だ、とずっと尊敬の念を抱いていたのです。
二人だけの時間が長くなって、二人で出かける時間が増えて、ようやく本当の夫の姿が見えてくるようになりました。
美術館に行って、彼が私に得々として説明する話は、美術書そのままのコピーです。
そこに夫の感性や感情はまったく入っていないことに、ようやく気づきました。
「この絵を見て、どう感じる?」「私はこの絵はあまり好きではないな。」など感想を話しあえれば楽しいだろうに、それがまるでなかった。
戦争での歴史的建造物を訪ねた時も、私は当時を想像して恐ろしさに言葉が出なかったことがありました。
重く苦しい気持ちになりました。
けれども彼は淡々として、年代や犠牲者の数を正確に口にするばかりで、ひと言も自分の受けた印象を話さなかった。
そのことにとても違和感を覚えたのです。
夫は知識を頭にためることが、教養だと思い込んでいるのだと思います。
知識を得た上でさらに自分の頭で考えることが大切なのに、自分の感性を磨いたり湧き上がる感情を表現することが大切なのに、その部分がすっぽり抜けているのです。
だから一方的な話を拝聴することはできるけれど、気持ちを分かち合うことができず違和感ばかりが残ります。
夫の感じ方と私とは違い過ぎていて、旅行で24時間ずっと一緒にいるのは苦痛であると気づいてから無理するのはやめようと思いました。
その後、旅行は無理でも夫婦の時間を大切にしたいと思い直し、週末にレストランで食事しようと提案しました。
夫は私の提案にはいつも乗ってくれます。けっして嫌だとは言いません。
旅の計画もレストラン選びも、夫からは動かないので私がするのですが、それでも断るということはありませんでした。
言われたことはきちんとこなすというアスペルガーの特徴ですよね。(当時は知りませんでしたが…)
雰囲気のよいレストランでゆっくり食事をしながら、離れて暮らす子供たちのことやお互いのことを話せればよいなと期待したのですが、会話は家での食卓同様まったく弾まなかった。
ぷつりぷつりと切れてしまう会話に、美味しい食事も辛く長い時間になって、いつしかやめてしまいました。
友人が週末は夫とウォーキングをしながら1週間の出来事を話すのが楽しみの一つ、と言っていたことを真似して、ウォーキングに何度か誘ったこともありました。
ところが、会話をするどころか歩くスピードが互いに全然違っていて、歩調も合わせられず、それも諦めました。
二人で何かすれば楽しいだろうと思い込んでいたのが、二人でいるほうが孤独で寂しいという現実を知ることになり、きっぱりと二人の時間をあれこれ演出するのはやめようと思ったのです。
夫としても私からの誘いは断れず、さらには私の気持ちに共感するように勝手に期待されたことは迷惑極まりなかっただろうと思っています。
夫にアスペルガーの特性があったと知る前に、私はなるべく距離を置くという結論に至りましたが、もっと早く知っていれば互いにギクシャクした関係に長年悩まされずに済んだのにという思いもあります。
彼にとっての妻は、家事を担当して子どもを産んで家族の形態を作ってくれる人という以外には何もないのだと思います。
私はそのことを胆に銘じ受けとめ、気持ちが揺れることなく自分だけを楽しませることをしていこうと思っているのです。
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