3月22日の会
3月22日あじさい会
<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻
<日時>
2016年3月22日(火曜日)
10時〜12時
<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 701
<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円
参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください
アドレス記入される場合は、「非公開チェック」でお願いします。
<お知らせ>
参加希望者数が予定を上回ってきましたので、申込みを終了致します。
3月22日の会を終えて
初参加の7名を迎え12名。全員のお話を聞くには少し多かったかもしれませんね。
自助会が新聞記事なったことは、ネットでは伝わらない人をも結び付けてくれます。
そのことによって幅広い世代の方が参加してくださり、参考になるお話をいろいろとお聞きすることができました。
夫へ優しさやいたわりの感情で接すると、その大きさ分の虚しさがはね返ってきます。
それが嫌なので、夫と接するときは感情を無にするようにしています。
「人」として、そんな態度はどうなの?と自分の意に反します。
だから敢えてそのようにすることは、とても難しいのです。
支援者だったら、どうでしょうか?
支援は、その人が心地よく、またストレスを感じずに成長していけるように助け支えることが目的です。
支援者の立場だったら、その人からの優しさや癒しを期待したり求めたりしません。
その目的達成のために色々な方法を試みることができるでしょう。
でも妻の立場だったら、どうでしょう?
私は夫が家で寛げるように、居心地よくするように、家庭を築いてきたつもりでした。
夫の一方的な話にも耳を傾け、彼に寄り添うように努力してきたつもりだった。
それは言い換えれば、夫を支援してきたような形であったのだと思うのです。
彼にとっては何十年も居心地よかったと思います。
反対に私は与えるばかりで不満が募っていったのです。
冷たい言葉を言い放たれたり、無視されたり、私が困っていても助けてもらえなかったり、夫の優しさや気持ちを感じることが一度もなかった。
期待しては砕け、の繰り返しを何度経験したことでしょうか。
虚しさばかりが残り、最後には体調まで崩していったときに初めてアスペルガー症候群を知りました。
夫には感情を持たずに接すること、それは難しいけれど、唯一自分を守る方法だと思うのです。
最近ようやく身につき始めたかもしれないと感じています。
というのも、夫にちょっとした用事を頼むことができました。
以前は夫に心が固く閉じてしまっていてお願いするのが嫌で、何でも自分でこなしていました。
けれでも先日、彼に庭木伐採の手伝いを頼むことができました。
構えることなく淡々とお願いできたことに、小さな喜びを感じています。
どの人にも同じように接してはいけないこと、人によって自分の気持ちを使い分け区別すること。
道徳に真っ向から反するようですが、そうしないと自分がつぶれてしまうのです。
自分に刷り込まれているものを少し修正することができ始めた気がします。
先月、私はインフルエンザにかかりました。
突然の高熱にたちまち身動きできなくなりました。
夫には、インフルエンザで高い熱が出ているので夕飯は作れない、と告げました。
彼は「はい」とだけ言って、自分の食事を買ってきてまかなっていました。
私は水だけを飲み、2日間を過ごしました。
彼は病気の人に何の言葉もかけません。
病気になったら医者が治療するしかない、薬を飲んで寝るだけ、なのです。
子供が小さいときに手術や入院といったことがありました。
その時でもお見舞いに行かなかった。
行ってもすることがない、医者がいるのだから、というのが理由でした。
インフルエンザで熱が高いのは当たり前、仕方ない、それだけです。
病状を尋ねるとか、しんどさを聞かされるのも彼にとっては意味のないことです。
何か欲しいものはないか、とも尋ねてくれません。
それは彼の特性でわかっているので、慣れています。
3日目になってようやく熱も少し治まってきたので、私も何か食べなければいけないと思い料理することにしました。
夫に「まだ熱は残っているけど、今日は冷蔵庫の余りもので夕飯を作りますから。」とメールしました。
彼は「わかりました。お大事に。」と返信してきました。
その時に私は漫才を聞いて笑うように、くったくなく声を立てて笑ってしまったのです。
いつまでも明るい気持ちで笑ってしまい、これを書いている今でも思い出し笑いするほどです。
なかなか思いつく言葉ではありません。
彼は常套句というものをふと思い出し、書いてみただけなのでしょう。
私は夫の言動を客観的になって笑えたことに、ひょっとしたら支援者の域に入っているのかも…と思える一件になりました。
<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻
<日時>
2016年3月22日(火曜日)
10時〜12時
<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 701
<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円
参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください
アドレス記入される場合は、「非公開チェック」でお願いします。
<お知らせ>
参加希望者数が予定を上回ってきましたので、申込みを終了致します。
3月22日の会を終えて
初参加の7名を迎え12名。全員のお話を聞くには少し多かったかもしれませんね。
自助会が新聞記事なったことは、ネットでは伝わらない人をも結び付けてくれます。
そのことによって幅広い世代の方が参加してくださり、参考になるお話をいろいろとお聞きすることができました。
夫へ優しさやいたわりの感情で接すると、その大きさ分の虚しさがはね返ってきます。
それが嫌なので、夫と接するときは感情を無にするようにしています。
「人」として、そんな態度はどうなの?と自分の意に反します。
だから敢えてそのようにすることは、とても難しいのです。
支援者だったら、どうでしょうか?
支援は、その人が心地よく、またストレスを感じずに成長していけるように助け支えることが目的です。
支援者の立場だったら、その人からの優しさや癒しを期待したり求めたりしません。
その目的達成のために色々な方法を試みることができるでしょう。
でも妻の立場だったら、どうでしょう?
私は夫が家で寛げるように、居心地よくするように、家庭を築いてきたつもりでした。
夫の一方的な話にも耳を傾け、彼に寄り添うように努力してきたつもりだった。
それは言い換えれば、夫を支援してきたような形であったのだと思うのです。
彼にとっては何十年も居心地よかったと思います。
反対に私は与えるばかりで不満が募っていったのです。
冷たい言葉を言い放たれたり、無視されたり、私が困っていても助けてもらえなかったり、夫の優しさや気持ちを感じることが一度もなかった。
期待しては砕け、の繰り返しを何度経験したことでしょうか。
虚しさばかりが残り、最後には体調まで崩していったときに初めてアスペルガー症候群を知りました。
夫には感情を持たずに接すること、それは難しいけれど、唯一自分を守る方法だと思うのです。
最近ようやく身につき始めたかもしれないと感じています。
というのも、夫にちょっとした用事を頼むことができました。
以前は夫に心が固く閉じてしまっていてお願いするのが嫌で、何でも自分でこなしていました。
けれでも先日、彼に庭木伐採の手伝いを頼むことができました。
構えることなく淡々とお願いできたことに、小さな喜びを感じています。
どの人にも同じように接してはいけないこと、人によって自分の気持ちを使い分け区別すること。
道徳に真っ向から反するようですが、そうしないと自分がつぶれてしまうのです。
自分に刷り込まれているものを少し修正することができ始めた気がします。
先月、私はインフルエンザにかかりました。
突然の高熱にたちまち身動きできなくなりました。
夫には、インフルエンザで高い熱が出ているので夕飯は作れない、と告げました。
彼は「はい」とだけ言って、自分の食事を買ってきてまかなっていました。
私は水だけを飲み、2日間を過ごしました。
彼は病気の人に何の言葉もかけません。
病気になったら医者が治療するしかない、薬を飲んで寝るだけ、なのです。
子供が小さいときに手術や入院といったことがありました。
その時でもお見舞いに行かなかった。
行ってもすることがない、医者がいるのだから、というのが理由でした。
インフルエンザで熱が高いのは当たり前、仕方ない、それだけです。
病状を尋ねるとか、しんどさを聞かされるのも彼にとっては意味のないことです。
何か欲しいものはないか、とも尋ねてくれません。
それは彼の特性でわかっているので、慣れています。
3日目になってようやく熱も少し治まってきたので、私も何か食べなければいけないと思い料理することにしました。
夫に「まだ熱は残っているけど、今日は冷蔵庫の余りもので夕飯を作りますから。」とメールしました。
彼は「わかりました。お大事に。」と返信してきました。
その時に私は漫才を聞いて笑うように、くったくなく声を立てて笑ってしまったのです。
いつまでも明るい気持ちで笑ってしまい、これを書いている今でも思い出し笑いするほどです。
なかなか思いつく言葉ではありません。
彼は常套句というものをふと思い出し、書いてみただけなのでしょう。
私は夫の言動を客観的になって笑えたことに、ひょっとしたら支援者の域に入っているのかも…と思える一件になりました。
スポンサーサイト