9月8日の会
9月8日あじさい会
<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻
<日時>
2017年9月8日 (金曜日)
9時45分〜12時 (9時30分開場)
ご注意:開催時間を15分早くしました!
<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 803
<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円
参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください
アドレス記入される場合は、「非公開チェック」でお願いします。
<お知らせ>
参加希望者数が予定を上回ってきましたので、申し込みを終了致します
満席になっていますが、直前のキャンセルなどもあるので、お問い合わせくだされば参加できることもあります。
9月8日の会を終えて
キャンセルの空きを埋めるために、キャンセル待ちを受け付けています。
どうぞ気軽に問い合わせてくださいね。
定員は15名としています。
秋の気配を感じながらも少し汗ばむような快晴の日に14名集うことができました。
初めての方は9名でした。
まだ結婚してまもない方、子供さんが赤ちゃんの若い世代から思春期真っ盛りの子供さんを育てている方、また子供が独立している世代などなど。
参加人数が多いと、さまざまな世代の苦労や悩みを聞かせていただくことができます。
結婚前から薄々感じていた違和感が、一緒に暮らすようになって、あるいは子供を授かってから大きな違和感となり、話がかみ合わない、分かりあえない事に落ち込み体調を崩していく…
どうして皆が皆、同じような現象が起きていくのか不思議なくらいに似通っています。
誰にも言えなかった、実の親にも取り合ってもらえなかった、ひたすら自分がおかしいのではないか言い方がまずいのではないか、と自分を責めることまで同じです。
人の話を聞いて、自分の家だけの問題ではなかったこと、自分の感じ方が間違っているのではなかったこと、自分はとても頑張ってきたこと、などを会で確認し合うだけでも少しは気持ちが軽くなります。
自助会ルールに守られながら心地よい関係の中で、自分自身を取り戻していってほしいです。
先日、知り合いの女性が何年かの闘病の末に亡くなりました。
彼女は50代でご夫婦だけの暮らしでした。
残された友人達に宛てて生前にお手紙を書いておられ、それを読ませてもらう機会がありました。
それはお別れの手紙で、残された時間を慈しむ気持ち、人生のやり残したことへの思い、そして残される夫への心配などでした。
夫がこれから先、一人で食事をしなければならないことが少し心配。
時々は夫を食事に誘ってあげてほしい。思い出していただいた時には彼とお喋りしながら一緒にご飯を食べてあげてほしい。という内容で括られていました。
それを読んで、お二人は仲の良い信頼し合ったご夫婦だったのだとあらためて思いました。
食事は大切ですよね。
以前に、「人生とは、誰と食事を共にするかということだ」という言葉を見つけた時
私は悲しくて涙がこぼれました。
それは家族でしょう。そしてパートナーが一番たくさんの食事を共にしています。
夫と食事をしながら会話が弾んだ思い出がありません。
結婚したころ、テレビを見ながら食事をするので、消すように言いました。
その後は私が目の前にいても新聞を読みながら。子供が生まれてからは、テレビも新聞もやめてもらいました。
子供たちがいるときは、子供と私の会話も弾み楽しかった。
でも夫婦二人暮らしになったとき、会話のない食事が辛くて、テレビを付けるようになりました。
夫はテレビを見ながら、私はテレビに背を向け黙々と食事するのです。
それがしんどくて、今ではなるべく時間をずらして食事をしています。孤食です。
その方が精神的にラクなのです。
夫婦二人だけだから、それもできます。
子供さんを育てている家庭で、そんなことをしたら不自然になりますよね…
日常のさりげない会話がしたい、嬉しかったこと、楽しかったことを聞いてほしい。
でも話すと、夫とのやり取りにガッカリするのです。
喜びを分かち合う、苦しみを共に支え合う、悲しみに寄り添う、そういったことを放棄しなくてはならないこと。
その息苦しさや悲しみは、一緒に暮らしているパートナーにしか分からないことです。
カサンドラにはそういう難しさが付き纏います。
いつだったか、19歳から私たちとは離れて暮らしている30歳の娘に
「お父さんと話しが出来なくなっている…」とうっかり打ち明けてしまったことがありました。
娘はくったくなく「話しかければ、いいやん」と軽くあっさりと言ったので、娘も本当のことは分からないのだ、とひどく落胆したことを覚えています。
分かり合えるのは、あじさい会で出会う人たちだけです。
理解してくれる人が周りにいなくても、気持ちを強くもって生きていきたいです。
<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻
<日時>
2017年9月8日 (金曜日)
9時45分〜12時 (9時30分開場)
ご注意:開催時間を15分早くしました!
<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 803
<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円
参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください
アドレス記入される場合は、「非公開チェック」でお願いします。
<お知らせ>
参加希望者数が予定を上回ってきましたので、申し込みを終了致します
満席になっていますが、直前のキャンセルなどもあるので、お問い合わせくだされば参加できることもあります。
9月8日の会を終えて
キャンセルの空きを埋めるために、キャンセル待ちを受け付けています。
どうぞ気軽に問い合わせてくださいね。
定員は15名としています。
秋の気配を感じながらも少し汗ばむような快晴の日に14名集うことができました。
初めての方は9名でした。
まだ結婚してまもない方、子供さんが赤ちゃんの若い世代から思春期真っ盛りの子供さんを育てている方、また子供が独立している世代などなど。
参加人数が多いと、さまざまな世代の苦労や悩みを聞かせていただくことができます。
結婚前から薄々感じていた違和感が、一緒に暮らすようになって、あるいは子供を授かってから大きな違和感となり、話がかみ合わない、分かりあえない事に落ち込み体調を崩していく…
どうして皆が皆、同じような現象が起きていくのか不思議なくらいに似通っています。
誰にも言えなかった、実の親にも取り合ってもらえなかった、ひたすら自分がおかしいのではないか言い方がまずいのではないか、と自分を責めることまで同じです。
人の話を聞いて、自分の家だけの問題ではなかったこと、自分の感じ方が間違っているのではなかったこと、自分はとても頑張ってきたこと、などを会で確認し合うだけでも少しは気持ちが軽くなります。
自助会ルールに守られながら心地よい関係の中で、自分自身を取り戻していってほしいです。
先日、知り合いの女性が何年かの闘病の末に亡くなりました。
彼女は50代でご夫婦だけの暮らしでした。
残された友人達に宛てて生前にお手紙を書いておられ、それを読ませてもらう機会がありました。
それはお別れの手紙で、残された時間を慈しむ気持ち、人生のやり残したことへの思い、そして残される夫への心配などでした。
夫がこれから先、一人で食事をしなければならないことが少し心配。
時々は夫を食事に誘ってあげてほしい。思い出していただいた時には彼とお喋りしながら一緒にご飯を食べてあげてほしい。という内容で括られていました。
それを読んで、お二人は仲の良い信頼し合ったご夫婦だったのだとあらためて思いました。
食事は大切ですよね。
以前に、「人生とは、誰と食事を共にするかということだ」という言葉を見つけた時
私は悲しくて涙がこぼれました。
それは家族でしょう。そしてパートナーが一番たくさんの食事を共にしています。
夫と食事をしながら会話が弾んだ思い出がありません。
結婚したころ、テレビを見ながら食事をするので、消すように言いました。
その後は私が目の前にいても新聞を読みながら。子供が生まれてからは、テレビも新聞もやめてもらいました。
子供たちがいるときは、子供と私の会話も弾み楽しかった。
でも夫婦二人暮らしになったとき、会話のない食事が辛くて、テレビを付けるようになりました。
夫はテレビを見ながら、私はテレビに背を向け黙々と食事するのです。
それがしんどくて、今ではなるべく時間をずらして食事をしています。孤食です。
その方が精神的にラクなのです。
夫婦二人だけだから、それもできます。
子供さんを育てている家庭で、そんなことをしたら不自然になりますよね…
日常のさりげない会話がしたい、嬉しかったこと、楽しかったことを聞いてほしい。
でも話すと、夫とのやり取りにガッカリするのです。
喜びを分かち合う、苦しみを共に支え合う、悲しみに寄り添う、そういったことを放棄しなくてはならないこと。
その息苦しさや悲しみは、一緒に暮らしているパートナーにしか分からないことです。
カサンドラにはそういう難しさが付き纏います。
いつだったか、19歳から私たちとは離れて暮らしている30歳の娘に
「お父さんと話しが出来なくなっている…」とうっかり打ち明けてしまったことがありました。
娘はくったくなく「話しかければ、いいやん」と軽くあっさりと言ったので、娘も本当のことは分からないのだ、とひどく落胆したことを覚えています。
分かり合えるのは、あじさい会で出会う人たちだけです。
理解してくれる人が周りにいなくても、気持ちを強くもって生きていきたいです。
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