12月13日の会
12月13日あじさい会
<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻
(女性だけの会です。お子様連れはお断りしています)
<日時>
2017年12月13日 (水曜日)
9時45分〜12時 (9時40分開場)
<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 803
<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円
参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください。
アドレス記入される場合は、「非公開コメント」にチェックして下さい。
<お知らせ>
参加希望者数が予定を上回ってきましたので、申し込みを終了致します。
満席になっていますが、直前のキャンセルなどもあるので、お問い合わせくだされば参加できることもあります。
12月13日の会を終えて
師走の足音が聞こえてくるような慌ただしい12月も、もう半ば。
氷が突き刺さるように感じる冷たい風に煽られて会場に足を運びました。
初めての方が4名、全員で11名のこじんまりした会となりました。
夫にどんなに言葉を選んで説明しても、優しく穏やかに傷つけないようにと注意しながら話し合おうとしても、最後には「間違っているのは妻、おかしいのは妻」となってしまう。
そう言い切られて、話し合いはお終いとなるのが常。
そのような似た状況のエピソードを参加者の方々から聞いていると、私も子育て中のあれこれを思い出します。
ワンオペ育児などという言葉がない時代、私はまさしく一人で3人の子供を育てたようなものでした。
夫と子供のことを話題にした記憶がない。
子供が病気の時あるいは入院した時、学校でトラブルがあった時、子供がひどく悩んで落ち込んでいる時など、たくさんの場面があったはずです。
それらのことを夫にはすべて報告するように話していたはずだけど、何の反応もなく、言葉が返ってくることも意見を口にすることもなかった。
その上、夫の親戚との数々のトラブルもありました。
私ばかりが悪ものになり攻撃され非難されて、食事も喉を通らなくなり急激に痩せたことがありましたが、その時でも知らん顔だった。
トラブルが起こる度に訴えていたはずなのに、それに応えてくれる彼の顔を思い出すことができない。
結婚してから幾度となく「無口すぎる、無関心すぎる、会話が少なすぎる」との思いが余って、私から持ちかけて話し合う時間を設けたものでした。
私が「もっと夫婦で何でも話し合いたいし、話してほしい。二人で相談して決めていきたい。家族の問題を共有して二人で考えて解決していきたい」などと彼への不満と希望を一気に泣きながら吐き出したことが何回もあった。
私が話し終えると夫は
「もういい?それで全部?みいこは時々吐き出さないとたまるからなぁ。そんなにたまらないうちに少しずつ吐き出した方がいいよ。」と軽く笑いながら言いました。
愚痴や不満を吐き出せば、それでお終い、私の機嫌はまた良くなる、と信じているようでした。
そして「僕は家族のために働いている、それ以上の何をしろと言うの?夫としてきちんと責任は果たしている良い夫だと自負している」と言うのが常だった。
問題を解決しようと考えてくれる意思は、全く感じられなかった。
私は若くて未熟で毎日に追われていたこともあって、言うだけは言ったから何とか反省してくれ問題は少し改善するかと期待したものです。
そして忙しくて知識もなかったこともあって、
「夫は正しい、家族を経済的に支えてくれる以上に私の心も支えて欲しい、なんて贅沢なことだ」と言い聞かせていたのです。
本当に無知だったと思います。
人間は、心の結びつきがなくては生きていけない生き物です。
少なくとも私はそうです。気持ちが通じ合う人がいないと頭がおかしくなる。
子供たちと一緒に暮らしている時は、忙しさと楽しさで自分の気持ちをごまかし紛らわすことができた。
でも夫との二人暮らしになった時、向き合って上手くやっていこうとすればするほど、私は心が崩れ身体の大きな不調を抱え込みました。
それから10年。
夫は相変わらず一緒に暮らす人ですが、向き合うことはしていません。
私は、向き合わずに暮らせる環境を整えることに終始しています。
夫から、人にはそれぞれ向き合い方があることを学びました。
自分の理想とするやり方に固執していては、はかどっていかないこともあります。
ステレオタイプの家族や夫婦像からひどく外れていても、平気で跳ね除ける強い心が必要なこともあります。
逞しくなるしかない、と常々思っているのです。
一つどうしてもここに記しておきたいことがあります。
私は「発達障がいかもしれない夫をもって苦悩する妻達の集まり」を主宰していますが、このような活動を通じて一人の女性と知り合いました。
彼女は私よりずいぶん若い独身の女性で、アスぺルガー症候群の診断を受けているとのことでした。
とても感じのよい女性でお話上手でした。
診断を受けたきっかけは、社会人になって会社で働くようになったとき仕事が他の人のようにこなせない自分に気づいたからだそうです。
とても知的な人で緻密な仕事に向いていそうなのですが、きっちりし過ぎて時間に間に合わないなどのトラブルがあったと聞きました。
その後、彼女は診断を受け自分の特性の得意とすること苦手なことなどを深く分析して、ようやく今は自分に合った仕事についているそうです。
彼女は自分の特性について勉強し、知り尽くしている感じでした。
自分の人間関係の得手不得手も自覚し、定型発達の人の言動と自分を比較することも的を得ていて、話を聞けば聞くほど感心するばかりでした。
私たちは友達になりました。
私は彼女の裏表のない正直な性格にも惹かれたし、何より彼女の趣味である音楽に対する深い造詣に触れることも新鮮で魅力的でした。
一緒に演奏会に行って、帰りにお喋りすることも楽しかった。
私にとって彼女は優れた人という印象しかないのです。
彼女はべたべたした付き合いではなく、忘れた頃にとっても素敵なプレゼントを送ってくれたり手紙をくれたりします。
私の好きな音楽会のチケットを最もよい席でネット予約してくれたこともありました。
先行予約で最もよい席を取ることは得意なのだそうです。
私のために取ってくれた最上の席での音楽会は素晴らしく感動的でした。
その音楽会を思い出すとき、いつも彼女の親切も思い出すのです。
発達障がいの特性があってもそれを自覚するかどうかで、周りへの影響も周りの理解も全く違ってくると彼女から知りました。
私は彼女がもし困ったことがあれば、友達として助けたいし力になりたいと思っています。
充分に共存していけるし、互いに足りないところを助け合って生きていける。
アスぺルガーだと診断を受けた彼女と知り合ったことは、宝物だと思っているのです。
もし全く自覚のない夫しか知らなかったら、偏った考えしか思いつかなかったかもしれない。
だから、こうした会を主宰することになった私は、彼女にはいつも感謝しているのです。
<参加資格>
夫がアスペルガーもしくはアスペルガーかもしれないと悩んでいる妻
(女性だけの会です。お子様連れはお断りしています)
<日時>
2017年12月13日 (水曜日)
9時45分〜12時 (9時40分開場)
<場所>
大阪市立青少年センター ココプラザ (大阪市東淀川区東中島1-13-13)
http://kokoplaza.net/access.html
会議室 803
<会費>
初めての方 500円、2回目の方 300円
参加ご希望の方はコメントにてご連絡ください。
アドレス記入される場合は、「非公開コメント」にチェックして下さい。
<お知らせ>
参加希望者数が予定を上回ってきましたので、申し込みを終了致します。
満席になっていますが、直前のキャンセルなどもあるので、お問い合わせくだされば参加できることもあります。
12月13日の会を終えて
師走の足音が聞こえてくるような慌ただしい12月も、もう半ば。
氷が突き刺さるように感じる冷たい風に煽られて会場に足を運びました。
初めての方が4名、全員で11名のこじんまりした会となりました。
夫にどんなに言葉を選んで説明しても、優しく穏やかに傷つけないようにと注意しながら話し合おうとしても、最後には「間違っているのは妻、おかしいのは妻」となってしまう。
そう言い切られて、話し合いはお終いとなるのが常。
そのような似た状況のエピソードを参加者の方々から聞いていると、私も子育て中のあれこれを思い出します。
ワンオペ育児などという言葉がない時代、私はまさしく一人で3人の子供を育てたようなものでした。
夫と子供のことを話題にした記憶がない。
子供が病気の時あるいは入院した時、学校でトラブルがあった時、子供がひどく悩んで落ち込んでいる時など、たくさんの場面があったはずです。
それらのことを夫にはすべて報告するように話していたはずだけど、何の反応もなく、言葉が返ってくることも意見を口にすることもなかった。
その上、夫の親戚との数々のトラブルもありました。
私ばかりが悪ものになり攻撃され非難されて、食事も喉を通らなくなり急激に痩せたことがありましたが、その時でも知らん顔だった。
トラブルが起こる度に訴えていたはずなのに、それに応えてくれる彼の顔を思い出すことができない。
結婚してから幾度となく「無口すぎる、無関心すぎる、会話が少なすぎる」との思いが余って、私から持ちかけて話し合う時間を設けたものでした。
私が「もっと夫婦で何でも話し合いたいし、話してほしい。二人で相談して決めていきたい。家族の問題を共有して二人で考えて解決していきたい」などと彼への不満と希望を一気に泣きながら吐き出したことが何回もあった。
私が話し終えると夫は
「もういい?それで全部?みいこは時々吐き出さないとたまるからなぁ。そんなにたまらないうちに少しずつ吐き出した方がいいよ。」と軽く笑いながら言いました。
愚痴や不満を吐き出せば、それでお終い、私の機嫌はまた良くなる、と信じているようでした。
そして「僕は家族のために働いている、それ以上の何をしろと言うの?夫としてきちんと責任は果たしている良い夫だと自負している」と言うのが常だった。
問題を解決しようと考えてくれる意思は、全く感じられなかった。
私は若くて未熟で毎日に追われていたこともあって、言うだけは言ったから何とか反省してくれ問題は少し改善するかと期待したものです。
そして忙しくて知識もなかったこともあって、
「夫は正しい、家族を経済的に支えてくれる以上に私の心も支えて欲しい、なんて贅沢なことだ」と言い聞かせていたのです。
本当に無知だったと思います。
人間は、心の結びつきがなくては生きていけない生き物です。
少なくとも私はそうです。気持ちが通じ合う人がいないと頭がおかしくなる。
子供たちと一緒に暮らしている時は、忙しさと楽しさで自分の気持ちをごまかし紛らわすことができた。
でも夫との二人暮らしになった時、向き合って上手くやっていこうとすればするほど、私は心が崩れ身体の大きな不調を抱え込みました。
それから10年。
夫は相変わらず一緒に暮らす人ですが、向き合うことはしていません。
私は、向き合わずに暮らせる環境を整えることに終始しています。
夫から、人にはそれぞれ向き合い方があることを学びました。
自分の理想とするやり方に固執していては、はかどっていかないこともあります。
ステレオタイプの家族や夫婦像からひどく外れていても、平気で跳ね除ける強い心が必要なこともあります。
逞しくなるしかない、と常々思っているのです。
一つどうしてもここに記しておきたいことがあります。
私は「発達障がいかもしれない夫をもって苦悩する妻達の集まり」を主宰していますが、このような活動を通じて一人の女性と知り合いました。
彼女は私よりずいぶん若い独身の女性で、アスぺルガー症候群の診断を受けているとのことでした。
とても感じのよい女性でお話上手でした。
診断を受けたきっかけは、社会人になって会社で働くようになったとき仕事が他の人のようにこなせない自分に気づいたからだそうです。
とても知的な人で緻密な仕事に向いていそうなのですが、きっちりし過ぎて時間に間に合わないなどのトラブルがあったと聞きました。
その後、彼女は診断を受け自分の特性の得意とすること苦手なことなどを深く分析して、ようやく今は自分に合った仕事についているそうです。
彼女は自分の特性について勉強し、知り尽くしている感じでした。
自分の人間関係の得手不得手も自覚し、定型発達の人の言動と自分を比較することも的を得ていて、話を聞けば聞くほど感心するばかりでした。
私たちは友達になりました。
私は彼女の裏表のない正直な性格にも惹かれたし、何より彼女の趣味である音楽に対する深い造詣に触れることも新鮮で魅力的でした。
一緒に演奏会に行って、帰りにお喋りすることも楽しかった。
私にとって彼女は優れた人という印象しかないのです。
彼女はべたべたした付き合いではなく、忘れた頃にとっても素敵なプレゼントを送ってくれたり手紙をくれたりします。
私の好きな音楽会のチケットを最もよい席でネット予約してくれたこともありました。
先行予約で最もよい席を取ることは得意なのだそうです。
私のために取ってくれた最上の席での音楽会は素晴らしく感動的でした。
その音楽会を思い出すとき、いつも彼女の親切も思い出すのです。
発達障がいの特性があってもそれを自覚するかどうかで、周りへの影響も周りの理解も全く違ってくると彼女から知りました。
私は彼女がもし困ったことがあれば、友達として助けたいし力になりたいと思っています。
充分に共存していけるし、互いに足りないところを助け合って生きていける。
アスぺルガーだと診断を受けた彼女と知り合ったことは、宝物だと思っているのです。
もし全く自覚のない夫しか知らなかったら、偏った考えしか思いつかなかったかもしれない。
だから、こうした会を主宰することになった私は、彼女にはいつも感謝しているのです。
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